魂を売った者たち

私が二人の離叛者を抱えて当初は怒りがあったのであるが、良く考えて見れば、カネと自己顕示欲に己れの魂を売って人生を送っている情け無い者たちであったことに気付いたのである。精神的にも大人になり切っていない者たちであるからホームページを読んでも高校生の文を読んでいるような気分になる。成熟していない精神ではカネと自己顕示欲に魂を売ったとしても当たり前である。こう考えると、怒れば時間と労力の無駄と思い、人間として情け無い、引き返すことすら出来ない、哀れな人間である、と思ったのである。タイプとしては、両者共にカネと自己顕示欲への限りない執着を示して、私を驚かせたのであった。魂がカネ、自己顕示欲に縛られている間には人間としての正常な判断は出来ないから、自分たちを自分自身でマスターと呼ぶしかない。氣功のマスターも、値打ちが下がったものである。まるで、喫茶店のマスターのように誰でも短期間でチカラもないのにムリして自分たちをマスターと呼ぶ。事情を知っている者は笑うしかないだろう。このような人間の表も裏も知っている私はこんな者たちには怒る気持ちも失せて、ただ哀れ、としか思われなくなった。しかし、その哀れは同情ではない。悪いことをした報いはキッチリとキッパリと償わなければならない、哀れなマスターたちである。