自己顕示欲

人間の中にはキツネのように狡猾に身を飾り、孔雀のように大げさに身の丈に合わない羽を広げて人に見てもらう為に醜い自己顕示欲を丸出しにして尤氏長寿養生功を利用して基本功と瞑想とワザを盗んでいく輩が存在する。そのような者たちは正統尤氏長寿養生功の太田氣功道場がどうなっても構わぬと云う不埒な態度であるから、元師匠である私も本気で真剣にこんな秩序を乱して己れの自己顕示欲を満足させて、幾ばくかのカネを稼ごうと商売に励んでいるキツネ孔雀を徹底的にやっつけなければならない。彼らが私の死を望んでいるのは明白だ。氣で勝負すればあちらが負けるのは自明の理であるからあちらが自分たちの団体を大きくして競争しようとする。私が受け継いだ尤氏長寿養生功をこんなキツネたちにヤツらの吐きそうになる醜い自己顕示欲に汚されることはドクター尤と師母に大変申し訳が無い。私はドクター尤と師母の魂にお詫びをすると同時にお二方の氣、エネルギーにご協力をお願いしている。あれだけの氣功武術を極められたお二方の氣は亡くなられても無くなった訳ではない。通氣になる時には私は儀式によって、ドクター尤と師母の氣を同時に私に頂いている。それが尤氏長寿養生功を受け継いだと言うことなのである。日本人では唯一私一人である。私を裏切りだますようにして己れの自己顕示欲を満足させようと自分の団体を作った者たちに将来はない。いつまでもドクター尤と師母, そして私三人のエネルギーが彼らの両肩にのしかかって何をするにも重く身動きが取れないはずである。私がこれまでなにごとも無く、何処に行っても上手く行っていたのはドクター尤と師母の氣が私を助けてくれたからなのだ。私が修行半ばで自分の団体を作るなどを考えたことは微塵も無い。そんなことを考えるヒマがないほどに訓練に集中していたのであった。道場を開いてみようと思ったのは、師母がおまえが日本に帰って教える時には師母の名前を言ってたくさんな道場生を持つのだぞ、と言って、私に指輪と写真をくれて、暗に私に道場開設の許可を与えてくれたと理解した時であった。師と弟子の阿吽の呼吸で系統が紡がれていくのが伝統のワザが引き継がれると云うことなのである。それをどうでもよいカネと己れの自己顕示欲で勝手に道場を開くのであれば、伝統の継承やワザの継承など、その意味が無くなってしまうだろう。いづれにしても、殺るか殺られるか、である。いよいよ正義、善と不義、悪の対決になって来た。絶対に負ける訳にはいかない。