人生の勝利者、偽りのない自分

以前、人生の勝利者とは長寿を自立して全う出来た者と言ったのではあるが二人の愚か者が偏差を起こして、何を勘違いしたか、道場を開いてマスターと名乗っているのを受けて、どんなに長生きしても誇りを失っては、人生の勝利者とは言えないだろう。日本人の心を守ることも人生の勝利者になる一つの条件となる。アメリカで私が在住していた時にはアメリカ人全ての人が、立派な大きな家に住み高級車を乗り回してヒレ肉を毎日たらふく食べることが目標で誇りであった。こんなことが成功者の象徴であった。私の経験から言えば、夫婦二人で働けば、こんな目標はすぐに達成出来る。私も一時期 庭で野球ができるような大きい家に住んで毎年新車に乗り換えて毎日ヒレ肉を食べることがあった。しかし、私の心は満足していなかった。真の誇りが無かった。幸せでは無かった。仏教的に言えば、実体の無いまぼろしの虚無の姿であった。真に大切なものは目に見えない。自分の身体の内側のウソや虚偽の無い自分を確立することであった。尤氏長寿養生功に出会ってから、私の興味は目に見える物質から目に見えない心、精神に移った。人を騙してウソや虚偽で固められた実体も実力も無い幽霊のような自分が立ち上げた道場など、いづれは破綻してどんなに虚勢を張っても、長生きしても、人生の勝利者にはならない。偽りのない本当の自分を確立してこそ、初めて人生の勝利者となることができるのである。