神氣、神妙

氣は万物の根源である。大本教の、百歳を超えて亡くなられた難波先生は、私が大阪の道場を開いていた時に、一目、私を見るなり、こうおっしゃられた。「大分、氣を訓練なさいましたね。あのね、氣は神のエネルギーなの。」と。それ以来、私は 氣を神のエネルギーと信じて、訓練と瞑想で得られる氣を神として扱い、神聖なものとして捉え、ついに氣を宇宙の根源的で見えない暗黒エネルギーと暗黒物質であると定義づけることとなった。ここまで来るのに三十年の月日が流れた。何十万時間の瞑想と何百万回の震脚ジャンピングを修行したのであるが、もう自分でも数えることは出来ない。それほどに訓練と修行を重ねた。つい昨晩テレビに流れる若者の音楽と歌が流れていたのを聴いているうちにあまりに下手でただうるさいだけのもので、不快に感じてテレビを消して寝てしまった。今起きて深夜にこれを書いている。声楽をチャンと学んだことも無かったであろう、音程も狂っていた。咄嗟に思い出したのは、師母をバークレーの大学のホールに中国の 武術雑技団が来ていて、サンフランシスコまでクルマで迎えに行ってお連れしたことがあって、私には初めて見るアクロバチックな演武は素晴らしいものであったが、どうでしたか?と聞いてみると、たった一言、プーハオ不好。であった。王向斉老師やドクター尤澎煕老師をまじかで見ていた師母の目には幼稚なものに見えたのは当然なことであったのである。こんな私であっても、実力の伴っていないものを見る時には不快に感じて目と耳を塞ぎたくなる。ユーチューブに載っている私の勁空勁のワザは最近は神氣を漂わせて神妙の域に達していると私には思われる。初対面の者に勁空勁を使う成功率は相手が氣を感じて氣感があれば、百パーセント出来るようになった。身体障害者のハンデキャップを背負いながらもイスに座って、指導員を投げ飛ばして新たな段階に突入している。古代中国人は摩訶不思議なものをシェン、神と呼んだ。私の氣が宇宙の暗黒エネルギーと暗黒物質であるとの仮説はまだ証明はされてはいない。しかし、科学的に証明されていなくても、人類の役に立つものを人類の生活に使われているものがある。今でこそ電気は人類には無くてはならないものであるが、初めは電気を信じる者はいなかった。以前は、東洋医学では氣が鍼灸などに医療として当然なように使われていたのだ。今は、 WHO 世界保健機構に医療として認められて、アメリカでは保険がカバーするようにもなっている。

私は百五十年も前の大本教の本に暗黒エネルギーと暗黒物質を霊素と言う名で紹介して未来では電気の無尽蔵の代替エネルギーとなることを予言している。このことがあって、大本教を紹介してはいるが、  大本教を勧誘してはいない。氣に関しての著述多く、引用させていただいている。神仏の名を借りて自己の権威を高めることに利用する者もいるようだが、そんなことをすれば、極罰を受けることを知らぬようである。私のワザが神妙になり、神氣を含んでユーチューブに紹介されているが、私は神ワザと言えるところまで自己のワザを磨き上げたと思っている。ドクター尤と師母がいない今、この先にどのようなワザに進化進展して行くのか未知数であるが、通氣にしても、私の指導員道場長にタヒチ移住前に通氣の儀式を行う予定である。通氣を行なうと私のエネルギーを相当に使うので、私も道場長も二週間ほど休養しなくてはいけない。寿命が縮まってしまう危険なものなのである。言うなれば、神の領域と言える。