共生

人間は一人では生きられない。私は人間が幸せに生きていく手段は共生、共に秩序とルールを守っていくしかないと思っている。何回も共生を呼びかけたのに、一人自分の野望欲望を達成しようと自分のチカラを過信して道場を開いてしまった者たちが一人片意地張って生きる姿を見るにつけて、情け無く、憐憫の情を禁じ得ない。皆んなで生きて、共生すればもっと楽に幸せに生きることが出来たはずである。それを、何故に一人自分が一番、と言う虚勢を張った虚構を作らねばならぬのか私には理解出来ない。氣功を仕事にしたいと思えば、チカラをつけて、そのチカラが十分に満ちた時には道場開設を私に促せられる。その時まで待てない。タヒチにはさまざまな人種が住んでいる。フランス人、ポリネシア人、中国人、そして日本人の私もその中に加わり、皆んな共に生きていく。住む前からすでに友人以上のあいだ柄になった人もいる。アメリカで私は支えられて生きた。日本でも幹部指導員に支えられて生きた。そして、タヒチの人間にはすでに支えられて移住に必要な書類を準備出来た。感謝しか無い。動物と人間が共生して共に生きている土地もあり、タヒチの島でも優しく純心な子どものような心で共に生きる共生をしている。日本も小さい島国なのに、何故に共に生きられないのだろうか?人間は自然の一部であり、自然に逆らって生きようとすれば、大きく反撃をされるだろう。自然と共生する哲学は日本人の特徴だったはずである。異なる文化と背景を持って生まれた者が日本で生まれたならば、国魂と言って、すでに大和魂を持った日本人である。日本人同士が共生出来ないはずがない。他国に於いては、私は日本人同士がお互い助け合い、共生しようとして来た。なのに日本に住むならば、もっと日本人同士で共生の心を持って生きることでもっと楽に生きて幸せになれるはずである。共に生きよう。共生しよう。