站椿功

氣功学校の新規学生が鍼灸師で、中国の医科大学中医の勉強もした中国通が次々と意拳関係の文献資料を発見してくれて、私に送ってくれるので、毎日のように古い写真の站椿功を見ているうちに站椿功の種類や目的とか医療とか時間、意拳と尤氏長寿養生功との違いをハッキリと判別できるようになって来た。百五十年ほどの武術の歴史の中を行ったり来たりしていると現実の日本の社会の中に生きているのを忘れてしまう。それで無くとも、私の毎日は普通の一般人とはかけ離れているのにますます仙人のような生活と環境、雰囲気に自分を追い込んでいるのに、時々ハッと我に帰る時がある。別に文句を言っているのではないが、この機会を与えてくれた新規学生に感謝をしている。タヒチに行けば、世界に尤氏長寿養生功を拡散する為に英文仏文の本を出版する予定なので、資料文献がいくらでも欲しいのである。これがこの尤氏長寿養生功の不思議なところなのである。もがきながらも、前に進んでいると、ある日突然に出会いがあって、欲しいモノが手に入り、いっぺんに解決してしまう。そんな奇跡的なことが、現実に起きてしまうのである。想いが通じる。自分の中の意念がエネルギーとなり波長が人を動かし、物質化してしまう。まさにそんな現象が私の現実に起きているのだ。私的な利益だけを考えていたら 、こんなことは起きない。ただ一心に純粋にひたむきに亡きドクター尤老師と師母の名誉回復の為を思う心を集まる人がに共感を与えて、人の心を動かして現実に資料文献が私の手元に集まるのではないか?いつも言う心と心の交流があっての奇跡的な出来事である。人との出会いは奇跡を産む。尤氏長寿養生功にとって重要な人物が日本、タヒチ、と一人づつ現れている。タヒチに行く前にこんなことが起きているのに、行った後には、どんな出会いがあって、どんな人が登場して活躍するのか大いに楽しみで、期待が膨らんで来るのである。人生の晩年を迎えたリタイアした老人に此れ程の情熱とそれに伴う周りの協力支援が集まるのは、私を喜ばし、励まして前進する氣にさせてくれる。また、幸せが増えていく。