武徳

武術を学ぶ者は強大なチカラを最終的には持つことになってしまうので、中国の内家拳の秘技を伝える 場合は、誰彼とやたらと教えることが出来ない。間違った心を持った者に伝わればただの凶器になる。特に尤氏長寿養生功では、最高最強と言われた意拳の流れを汲んでいるのであるから、師の信頼を得なければ、最後に学ぶワザや秘密は伝えることはない。師母も道場生の幾人かの信用の置けない者に利用されて、師母の許可無く、教えて自分のワザが一番だ!と自慢する輩が現れて師母の怒りを買っていた者がいたのである。師を師とも思わぬ者が師をないがしろにして師の裏側で悪態をつく。勝手に実力も無く、自分で作り上げた、とウソぶき道場を開いている。私にも同じことが起きている。当然、そんな者にはワザが伝わらないのは当たり前のことだろう。功夫と言う言葉を聞いたことであるだろう。西洋人のスポーツと武術に対しての態度、知識が筋力トレーニングとスピードを機械的、力学的、医学的に傾倒するものに対して、東洋の、特に武術において、功夫と言う言葉を使って修練度を表すのだが、これを西洋人は理解が出来ない。歳を重ねるほどにワザとチカラは習熟して、若い者は歳を経た武術家の師には到底かなわない。中国内家拳は氣を養うので、地球の重力と混然と一体化して宇宙のエネルギーとも一体化する修行を通して氣を練って、最終的には強大なチカラを蓄えるのである。太極拳士が朝早く起きて、太極拳の型を訓練するのはこの意味がある。何十年という訓練を重ねた結果、その功夫が強大となるそのチカラを戦いの為だけに使おうとする者、カネ、モノ、贅沢する為にワザを習おうとする者は入門を拒まれるのはこの意味である。師と信頼関係を作れない者には秘技と道統を受け継がせずにこのような武徳が無い者が師に嫌われ、破門となる。私も二人の武徳無く、カネを稼ぐ手段として  私を利用し、裏切って道場を開いた者を破門した。尤氏長寿養生功を受け継いだとウソをついた者もいた。功夫も何も無い。また修行年数も足りぬくせに大瞑想家と名乗り、トチ狂ったオンナも破門となった。こんな者たちにはこの武徳どころか、人間としての良心も見られない。いつから日本人がこんなに恥を知らぬようになったのであろうか?連綿と続く伝統のワザは我々の精神がピュアに宇宙と地球に向かうにはまず人間の心が整わねばならない。その上で、師との真剣な修行を通して、伝統、道統のワザを伝授されるのだ。師との信頼関係を築かずして秘技など言うモノを習えるはずは無い。不思議なことに日本人がこう言う武徳が無くなって、西洋人の中にこの武徳や心が備わった者がいる昨今である。刀鍛治の技術を外国人が学び、作刀の技術は海外にいづれは流れてしまうことが将来起きることだろう。東洋人が武徳と心を持たねば、尤氏長寿養生功のワザも海外で流行する時代が来るかもしれない。