利によって集まり、利によって散ず

論語の中のどこかの一節と思うが、小人の常の行動に多いのが、この利によって集まり、利によって散ずの行為を私は尤氏長寿養生功を教授し始めた時から、この論語の一節の通りの小人の行動を見て来たのである。以前もそうであり、今でもそうである。何か得るものがあると思って馳せ参じ、カネと欲しいものが手に入らないと分かるやいなや、ケツをまくって居なくなる。長いあいだの修行が出来ない人間がこういう行動を取る。あまりの数の多さには慣れてしまったのであるが、私の何かがこんな人間を引きつけてしまうのであろうかと反省もするけども、尤氏長寿養生功の奇跡的技術の素晴らしさを私がテレビに出演して紹介したことが彼らを刺激して利を欲する者たちが集まってくる。勁や空勁を簡単に出来ると考えて、長年過酷な訓練をした私からチョット習い、ほんのちょっとだけ出来るとさあ大変である。出来た、出来た、出来るようになったと有頂天になって、ひどい時は、私と同等になったと思い込み自分の道場を開いて、私のすることを真似てオレにも同じことができる、とあさましい行動で示している。その醜い行動と野心に吐きそうになってしまうのである。カネか売名の欲に囚われた我欲の結果であると言えるだろう。もうひとつ論語にはある一節に、君子は義にさとり、小人は利にさとる、と言うのがある。さとるの漢字があまりに古い漢字なので検索出来ないことを勘弁してもらいたい。今風に訳せば、紳士智慧者は大義の為に行動するが、くだらない人間は利益の損得だけの為に行動する。と言うことだろうか?昨今、こんなくだらない人間は多くなっている。