尤氏長寿養生功

私が学んで、修めた武術氣功、尤氏長寿養生功はご存知のように中国の大成拳、意拳チベット密教の瞑想を融合して、殺人のワザから活人のワザへとドクター尤老師が、苦心の末にご自身の医師の立場から考案した長寿養生法の氣功である。私がその尤氏長寿養生功を日本に移植しようと二十五年ほど前にテレビに私の勁と空勁を紹介したのち、すぐに私のニセモノ尤氏意拳と自称する武術が現れて、今また、キッパリ道場と言うニセモノ瞑想が出て、尤氏長寿養生功の武術氣功を武術と瞑想に分断してあたかも、尤氏長寿養生功を切り崩すような不正行為をして、それぞれに道場を開いている現状であるが、尤氏長寿養生功は武術と瞑想に切り分けることは出来ないことをこの不正な輩たちは知らないらしい。何故に切り分けて武術、瞑想に分裂させるのであろうか?その理由は尤氏長寿養生功が勁空勁を含めて、基礎訓練法も瞑想もひっくるめて、統一して全体を尤氏長寿養生功と呼ぶ。それなのに、自分がカネを稼ぐのには瞑想を小分けにして教えて自分のバックグラウンドに都合の良いようにパッチワークのようにツギハギにくっつけて、上手くカネ儲けの手段にしたかった。そして、日本拳法しか出来ない者はこれ幸いと、私が教えた初歩の勁空勁をオレも出来る、としてマスコミに登場して私の二番煎じを演じて悦に入っている。尤氏意拳と言ったら、ドクター尤老師本人が使うべき名前であって、意拳のワザも習っていないただの格闘技の日本拳法しか出来ない者が使う名前ではない。武術をやってる者が、尤氏長寿養生功を私から少しでも学んだ者が、尤氏意拳と自称するのは僭越で、生意気で、幼稚な者、としか思えない。恥も外聞も無いこの両名は尤氏長寿養生功を利用して、自分の踏み台にして、自己顕示欲を満足させて、カネ儲けを企んだ者たちであった。尤氏長寿養生功を丸ごと学ぶ気も無い。都合の良い部分だけ抜き取って、自分に都合良い屁理屈を上手くつけて、生徒を集めている。それだけ尤氏長寿養生功のチカラとワザが素晴らしい証拠である。中途半端に一部分を自分の生活の糧とする。浅はかで精神年齢の低い者がたどる道はしっかりと整備されていないので、生徒が例え、集まったにせよ、その道は険しく、いづれは倒れて崩壊するだろう。武術と瞑想の融合した形が尤氏長寿養生功なのである。私は武術だけ、瞑想だけ習ったのではない。私が三十年の歳月を経て学んだものは瞑想と武術が融合した氣功武術の尤氏長寿養生功であった。私は完全なシステムとしての尤氏長寿養生功を偽り無く、ウソ無く、学んだので、この両名の通る道と私の道を比べれば、私の道、道場に正統性があってすぐには崩壊しない、末代まで続くことになるのは、目に見えている。全体で生きているひとつのものを切り分けてその部分が生き残ることはない。