夢と見えないモノ

ものごとに表と裏があるように、氣は目には見えないモノで裏にあってものを動かすエネルギーである。浅はかな者は見えるものだけに心を奪われて、表のことだけに注意を向けて裏に何が存在するかを意識していない。私は若い時から少林寺拳法に打ち込んでいたが、ある時からチカラとワザの裏に潜む氣の存在を知った。それからは見えないモノに注意を向けるようになり、神仏のエネルギーにも興味を持ち宗教の勉強もした。見えないモノが見えるモノを支配することが理解できるようになった。宇宙のエネルギーは目に見えず、科学的に計測出来ないが存在することが分かっている。例えば地球の重力は目には見えないが存在することを否定する者は誰もいないだろう。目には見えない重力を利用しているのが、実は空勁なのだ。私が空勁を相手に打つと相手は私の氣を感じて床にドスンとお尻から倒れてしまう。その理由は?と言えば私の体内の氣が重力と同じように下の方向に向かって降りているので私の氣に相手が同調して床に転がったり、床に座って立ち上がることが出来ないのである。私からすれば、何も不思議でも何でも無い。站椿は地球の重力を身につける手段であった。地球の重力を身につけることには長いあいだの訓練が必要だが私はこの修行の面白さに虜になって三十年の修行に耐えてようやくこのように空勁を理路整然と説明できるようになった。夢と言いながら、結局はカネと売名が目的であることが明白で道場を開く者たちはこんな説明はできるはずもなく、見えるモノだけを追いかけてそれを自分の夢と言っている。実にチープな夢ではないか?そんな軽い夢では達成出来ない。夢も実現するまでは目に見えないからそんな軽々しい見えない夢では人の心を動かせない。軽い練習で身につけたワザ、地球の重力は軽い練習の通りに軽い重力なので、実際には使えるエネルギーにはならないモノである。