分相応

自分の不充分な実力と能力で自分に見合わぬモノを追いかけて、カネと売名、自己顕示欲に執着して自分の道場を開いた者たちは、自分の身に不相応な部分を隠す為にはウソと虚偽で自分のボロを隠すしか方法は無かった。人生を自分の身に不相応なモノを引きずりながら生きることはどれほど辛いものであろうか?自分が精進努力して、これだけは誰にも負けないというところまで築き上げた自分は分相応であると、自信があるだろうが、精進努力が不充分であれば、分不相応でその穴を埋めるにはウソと虚偽が必要となる。自分で自分を総師範、総大将と呼ぶしかない。私は日本の国が認める、立派な身体障害者であるが、片手片脚で、初対面の講習会参加者を勁空勁で投げ飛ばして、国指定の難病を氣のチカラで改善する治療をしている。私にはウソと虚偽で私を飾る必要がない。自分で自分を師範と呼んだことも無い。私は私が師母と一対一の猛訓練を三十年毎日したことが事実であるから、私には能力は無かったが、誰もが認める事実であるので、私には尤氏長寿養生功を教えることは分相応で、私には資格と正統性があることを否定する者がいない。このことは私の誇りであり、何処へ行こうが、私の生きる人生には自信を持っている。ニセモノたちは分不相応な自分たちの人生に満足しているのだろうか?自分に実力あって、自分ができることで生きていける人生にはウソと虚偽は必要が無い。