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氣は神のエネルギーである

今週のお題ゴールデンウィーク2017」二十五年前に初めてお目にかかった難波先生は大本教の古株の大幹部で若い時に出口王仁三郎聖師に直接お会いして以来、七十五年も信者であった方であった。難波先生は私に向かって、第一声、だいぶ氣を訓練なさいましたねと、まるで見えないものが見える蚊のようにおっしゃってくださった。大本教についていろいろとご自分の体験をお話しされた後に、太田さん、氣功はひとをビックリさせろ為にあるものでなく、神のエネルギーである。と一言短い言葉で示して頂いた。それ以来、難波先生と出口王仁三郎聖師は私の魂の師となったのである。また、難波先生は出口王仁三郎聖師の焼いたようワン(釉薬のかかったお茶碗)を大事にされて毎年のようにようにようワン展覧を開いていたのである。もう一人大本教の方に井上先生がいた。食制の先生で食事で難病を治す先生であった。難波先生はちょうど百歳で亡くなられ、井上先生もその後亡くなられたのであった。神田吉隆はようワン展を狂ったように道場経営を道場生に任せて、一人近畿地方でようワン展を手伝っていたのであるが、動機が不純である。ようワンを手伝うと道場生が百にも二百にもなるからだと、誰に教わったのであるか、信じて疑わなかったと見える。私はようワン展は行ったことはあるが、手伝ったことは一度もない。それでも一時期道場生は三百名を超えて、一人では道場をやっていけないほどの忙しさであった。手伝うか、手伝わないかと言う外面ではなく、自分の心にようワンを持つか、持たないかと言う内面の目に見えない氣、エネルギーの問題であることを分かってない。近畿地方に行く時間があれば、訓練瞑想に励み、手伝ってくれた道場生を騙すようなことをしないことがもっと重要であることを分かってない。幼稚で未熟者で他力本願なのだ。信仰しているようでしていない。氣功をしているようでしていない。武術家のようで武術家ではない。モドキである。尤氏意拳も尤氏意拳のようで尤氏意拳ではない。難波先生がご存命なら、どうおっしゃることか?出口王仁三郎聖師がご存命ならどのようにおっしゃることか?氣は神のエネルギーである!!!