苦と楽

人生とは苦の連続である。楽はほとんど無い。そんなバカな!と思う者は仏教の哲学を思い出してみるがよい。生老病死の四大苦と言って、釈尊は、生まれて死ぬまで苦であると喝破している。尤氏長寿養生功を私から習いながら、カネと自己顕示欲の誘惑に負けて、勝手に自分で師範と名乗り教え始めた背景には、訓練の厳しさに耐えられず、自分の置かれた状況に我慢出来ない、生活費と月謝に困り、志しを曲げて、勝手に私の許可無く教え始めて自分を師範と名乗る。修行も実力も充分ではない、中途半端な宙ぶらりんの状態の自分に自分自身で𠮟咤激励して、これで良いのだ、自分が正しい、悪いのは自分以外の他のヤツだ、と感情的に責任転嫁して自分の道場を立ち上げてしまう。こんな行為の何処に正当性と秩序があるのであろう?私は尤氏長寿養生功を修行する前に二足三文ではあったが、家財道具を全て売って、仕事も辞めて、時間とカネを作り、住む場所も治療して完治させた患者さんが家の一室を無料で貸してくれた所に住んで、経費を浮かして毎日二回の訓練に備えて、三十年に及ぶ修行を敢行したのである。修行は中国人とアメリカ人だけの道場に日本人は私一人で最初から師母の嫌がらせとみんなからイジメを受けた。日本人は歓迎されなかった。しかし、私は挫けなかった。イジメられればイジメられるほど、私は練習に精を出した。あのキツくて厳しい師母には、私独特の冗談で最後は師母が腹を抱えて笑うようになったし、他の中国人とアメリカ人の道場生には氣を使わずとも少林寺拳法の逆ワザで投げ飛ばしてイジメを解消したのである。とにかく毎日行っている間にいつの間にか、師母も他の先輩同輩道場生も私を仲間として見るようになって、練習に毎日行っていると体力と技術もジャンプも先輩を飛び越して、ついには、師母がワザを説明する時に私だけをいつも呼ぶようになっていた。それは私が道場の中で、私が筆頭格であることを意味する。修行も終わりに近づいてきた頃に師母の方から、お前が日本で教える時には師母から習ったと言うんだぞ、と良く言われる。最後の練習の後には純金の指輪と師母の若い頃の写真を私にくれて、鉄格子のドアで私を見送りながら泣いていたのを今でも脳裏に焼き付いて、ハッキリと思い出すのである。私は師母に認められ、日本で教えることを許された。苦しみの後に楽がくる。苦しみ無くして楽しようとするのは間違っている。苦しみに負けて修行途中で逃げて、教え始めて師範となった者は言い訳原因は何であれ、太田氣功道場を裏切って道場の秩序を乱して、カネと自己顕示欲の為に自分の道場を開いた事実は永遠に残る。いつも言うことであるが、大本教の出口聖師の歌に

「艱難の大なる後に幸せの大輪の花が咲く  」  がある。