幸せとは何か?

人間が生まれて死ぬまでの間に生きる目的とは何であろうか?幸せになることを夢見て生きるのが目的と言える。人によって、さまざまだから、全ての人の幸せをここでは書けない。だから、私は今、無上の喜びと幸せを感じているので、私の幸せについて語ろう。あるオトコは、

私の道場にたくさん道場生が集まり、お金が集まるのを見て、これは儲かる、と踏んで、私の側に寄って来てお金を持つことが幸せであると思ったようだ。このオトコの行動と言うことを観察して、私はそう思った。私はカネを稼ぐ為にこの長寿養生功を訓練した訳ではない。あまりに面白く、あまりに難しく、あまりに武術的にも医術的にも優れていたので、師母がご高齢になっていたのでこの機会を逃したら、此の世では二度と習うことは出来ないと思ったので、私の全精力をこの長寿養生功に向けたのであった。習得後は世界を巡り、試すだけ試してその効果を確認して、日本に一度帰国して私の道場を開いた。一人でも多くの日本人に長寿養生功の素晴らしさを分かって欲しいと言う一念であった。この度、タヒチに於いて、私の氣のチカラが認められてこのタヒチで私が必要とされている, と感じて、移住を決めたのである。タヒチに移住するかぎりはタヒチを本拠地として、今度は世界で、一人でも多くの人にこの長寿養生功を体験して欲しいと願うことになった。世界には日本よりもっと人口が多いので、日本で集まった人数より多くなるだろう。同時にお金が集まるであろう。お金そのものに興味がある訳で無く、人に興味がある。そして私が必要とされていることは私にとって大事なことで、幸せに感じることなのだ。目先のハシタガネにこころを奪われ、ウソをついてカネを奪い、道場生に損害を与えた行為は犯罪で詐欺と言える。こんなことをするオトコはパーソナリティ障害と言う心の病を持っている。ウソをつく虚言癖がある。芝居掛かった演出を好む。パーソナリティ障害である。こんな精神疾患を持つオトコ、カネが生きる目的とする人生を送る者は幸せにはならない。一方私はタヒチの島では治療費は無料で提供する。島民が持って来る野菜や果物があれば充分だ。瞑想と運動を教える氣功の月謝は取るが、高くは取らない。全島に五十万人近くいるので、たくさんお金が入って来るだろう。またシンガポールでの講習会がすでに決まっているので、シンガポールを拠点に、東南アジアに展開する。人口は日本の十倍にもなる。たくさんの人に長寿養生功を楽しんでもらうことは私の喜びとなる。ウソをついて立ち上げた武術団体、尤氏意拳は今、崩壊寸前である。もうすぐ解散せざるを得なくなる。カネを追及しない私が幸せになり、カネばかり頭にあって、カネを一時期は手に入れたオトコは不幸になる。カネやモノでは幸せになれない例である。私には私を信頼してくれる人がいて、必要とされている。人を騙したり、ウソをついて信用させてはカネを奪うことでは自分の本来の自分ではないハズだ。本当の自分になって、ウソ偽りの無い自分を人前に出して生きる、自分の持つ能力を認める人がいる。自分の穴を隠す為のウソの肩書きは必要がない。自分にとっての幸せとは何かを今一度考えて見ることは大事なことである。