生きる為に

人生の中で生きる為に何をしても良いのだろうか?もし、そんなことをするのならば、ケダモノと同じではないか?戦争をして、生きるか死ぬかの選択を迫られていれば、まだしも、いやそれでも許されることではない。尤氏長寿養生功を学びながら、師匠の私と他の道場生と指導員を欺いて、ウソと虚偽で、その場をしのぎ、身勝手にも、自分のニセ武術ニセ瞑想の道場を開いて必死に運営する姿を想像する時には、哀れに感じるが、同情や共感は無い。不幸だから、太田氣功道場に入門したのに、こうして私にブログで糾弾されて罵倒される。キッパリ道場のオンナ総大将とクジャク総師範の尤氏意拳の団体が早く潰れて、消滅することを願うばかりである。こんな私のように氣功の世界に生きる私の悪想念のエネルギーを受けて、それぞれの団体がうまく行くはずはない。他人を騙して師匠を欺く者に未来などはない。生きる為にそうやって、糊口をしのぐその味は美味しいものか、不味いものであるか、聞いてみたいものである。もっとも、心は他人の気持ちなどは無視出来るので、こんな事態になっているから、聞くだけ無駄か。我々はケダモノで生きるのではない。人として生きる存在であることを忘れてはならない。ウソと虚偽は無縁のものだろう。