日本の職人、継承者

日本のモノ作りの職人たちは外国人を感心させる、うならせるワザを持ってモノを作る。その職人のワザを持つには、先人の前代からのミリ単位、ナノ単位の神ワザを受け継いでいる。受け継ぐだけでは終わらない。その伝統のワザをさらに磨き上げて神ワザの世界へと突入する。そのある一線を超えたワザを日本で見た外国人は、本国では見たことも無いモノを見る経験をして日本という国に魅力を感じることになると思われる。日本人は逆に、日常的に身の回りにあって見慣れているので新鮮味を感じることがないのでありがたみも感動も無い。感動も無く、そういうワザにも興味がないから、ますます、日本の伝統のワザが廃れて行く。尤氏長寿養生功の勁空勁のワザや基本功も職人芸と言えるだろう。そのワザは日本人のみならず、世界の人々に感動を与える職人の、達人のワザである。日本の職人の芸、ワザと変わらない。日本のモノを作るワザは、大陸からの技術が日本に伝わり、日本人は長い年月をかけて創意工夫を加えて、より良い技術を生み出してもっと秀れた芸術的なレベルにまで引き上げてモノを作り出している。さまざまな分野において、その例を挙げることができる。例えば、宮大工の技術、刀剣の刀鍛治、書道、中華料理、フランス料理など、本国より秀れて、技術の向上進歩があって、日本を訪れた外国人は驚きを隠せない。私が教授している尤氏長寿養生功の勁空勁も、私の感覚を加味して新しい局面の初対面の人との氣の交流で勁空勁の体験を十人中十人までの確率で行なえるようになっている。私が習った勁空勁からさらに段階を上げていると私は思いたい。私の先輩、同輩が挑戦もしていなかったことである。武医一如と言う言葉の通り、初対面の人との氣の交流が可能になることは初対面の患者病人への治療も初回で完治したり、一回の治療で成功率の高い治療が出来る治療法が確立したことを意味するものなのである。私がより幸せに人生を送っている理由がここにも存在している。私が望んでいた東洋医学の氣を使った鍼灸の治療法を見いだしたことになったからだ。東洋の捨て去られた哲学や技術が日本の職人によって現代に蘇って、人々の生活に役立ち、病いやケガを治療する、本当は宝の山である、東洋の省りみられない哲学や技術は未だ他にも眠っているであろう。日本人は特に、西洋と東洋の文物に接する機会が東洋の国の中では多いと思われるので、捨て去られようとしている、日本や東洋の文化芸術、技術にもっと目を向けて、現代にどうやって、復活させられるか?また、その技術の現代における意味することは何であるか?などを良く吟味して学ぶ姿勢が我々日本人に求められている、と私には思われてならない。私の継承した尤氏長寿養生功の勁空勁は殺人の武術のワザから活人の、病気やケガから人々を救う医療技術として現代に復活したのである。継承した者にとって、これに勝る喜びは無い。