体内の氣の方向性

チベット密教の活仏、リンポチェは人の死の直前に頭頂部から氣がスーっと出て行くのが見えるのだと言う。尤氏長寿養生功では、大周天で氣を体内では下げる瞑想をする。つまり、氣を上に上げれば上げるほど死に近づく、と考えて氣を下げるのである。三十年前に氣の専門家が瞑想は迷走だ、と言っていたのであるが、東洋の哲学が瞑想を基礎にして成り立っていることを知らずに氣の専門家になったらしい。氣を一生懸命に上げる訓練をしていたので、生徒も本人も今ごろ死んでいるかもしれない。日本語の表現では氣が上がると言う表現がある。感覚的に氣が上がることは病氣になることであると知っていたかもしれない。私が勁空勁を人に打つと相手の身体が下に崩れてしまう。最後には立てなくなる。それほど私の氣を重く感じるのである。私の体内の氣をいつも下に降ろしている。丹田と言う下腹にある所に氣があるので、そのようになるのである。いつも丹田に氣を降ろしていると病氣に罹り難くなって死を遠ざけることになる。頭のてっぺんから氣が抜けないようにすれば、長生きできるとドクター尤老師は考えたと私は思う。カネが儲かると思って氣を簡単に考えて教えたりすると危険なことになる。医療従事者の資格も無い者が氣の分野で師範を名乗り、医学的見解を口にしていることもある。瞑想をしたこともない者が瞑想を批判して医師でもない者が医学の大先生になっていたりする。氣の世界はホンモノとニセモノが混じり合い、カネの亡者が跳梁跋扈して魑魅魍魎の世界となっている。