邪魔

何かホンモノを学び、それを何処かで教えようとする時、発展させ拡めようとする時、成そうとする時には、邪魔が入り、なかなか前に進ませてはくれない。邪魔が入るということはホンモノの証である。どうでも良い、ニセモノにはあまり邪魔などが入ることはないだろう。ホンモノのチカラを欲しがり、どんな小さなニセモノの団体であっても、頭になりたがる。簡単に、あまりにも簡単に出来てしまうモノはホンモノではない。ニセモノはホンモノのマネで簡単に出来てしまう。ホンモノを学ぼうとすれば、それはまるで針の穴をくぐり抜けるようなモノで、血と汗と涙の訓練を要する。私の訓練を振り返ると、私はホンモノの武術を学んだと言えるだろう。私の教えた者の中から、ホンモノを学んでおきながら、ニセモノが出てしまったことは残念ではあるが、そのことは、私の学んだことはホンモノであることの証拠であった。ニセモノが何を言っても、何をやっても、決してホンモノになることはない。金メッキがどんなに頑張っても 純金になることはない。ロバがどんなに頑張っても馬にはならず、スズメが鷹のように空高く飛べる訳も無い。ニセモノはいつまで経ってもニセモノのままである。人として誇りを持って、ホンモノの人生を送りたいという心情は理解できるが、本人が選択して作ったニセモノの人生であるから、私にはどうしようもない。悪因悪果の顛末を迎えるしかない。愚かで哀れな結末になることだけは間違いのないことである。こんな邪魔者を日本に残し私はタヒチに出発して、幸せな老後を過ごすことになる。邪魔者はその名の通り、邪で、魔性の心、人間性を呈して残りの人生を歩んで行かねばならない。宇宙の、自然のエネルギーである氣を私心で利用して歪めた責任を負うしかない。恐ろしい結果が待っている。