小が大を制す

小さい日本人が大きい西洋人のスポーツで西洋人に勝つ。先回の南アフリカ戦に次いで優勝候補のアイルランドに勝利した。東洋の武術は小が大を制するワザを訓練していざという時に備えて修行に精を出すのである。身体の大きな者、権力のある者、に屈しない義侠心を養い、弱きを助け強きを挫く精神が武術の核となるものである。中国意拳創立者王向斉老師もまた、身体が大きな方ではなかった。でも、站椿功で最強の氣を養成して中国最強の武術の流派、意拳を作り上げた。晩年の王向斉老師は難病に苦しむ同輩中国人の病人に站椿功を教えて武術を社会貢献の手段とされていた。腕っぷしの強さだけを誇る者は真の武術の意味を理解してはいない。私は尤氏長寿養生功を三十年かけて修行して氣功武術を修得したが、基本訓練は意拳の基礎訓練であったので、私の感覚では真の武術を修行したと思っている。 私はそれを誇りとしている。私もまた身体は小さい方で、テレビに出演した際にテレビ局が用意する相手はいつも私より身体の大きな格闘家やスポーツ選手、元K-1の芸能人などであったが、養成した強い氣で制することが出来たのである。チカラやテクニックだけに頼ると常に勝ちを収めることは出来ないだろう。筋肉と技術を支えるエネルギーは氣である。ラグビーだけに限らず、他のスポーツ、武術にも応用可能である。最近ではテレビ局もオリンピックの種目のひとつの短距離走に氣の応用は可能であるか?との問い合わせも去年もらっている。だんだんと運動競技やスポーツにも応用がきくのか興味が出て来ているようである。高齢になって突いたり、蹴ったり、オレの方が強いなどと言う者は見っともない。ホンモノの武術家ではない。ホンモノの武術家の晩年の姿は弱者病者の救済をすることがホンモノの証と言うことになるであろう。王向斉老師も弟子のドクター尤老師もそうであった。その流れを汲む私も先人に倣い、私もそうありたい。私はその実践として、私の知識と経験の伝承として鍼灸師への置鍼講習会、氣を使った氣功整体講習会を主軸として太田氣功道場のこれからの運営に励むことにしたいと思っている。小は大を制し、氣は武術を制する。そして救命の医療へと昇華する。強さと競争、カネと虚栄心、自己顕示欲は何処へと向かうのであろうか?