氣功と喜び

喜びは人生に希望と自信をもたらす。我が尤氏長寿養生功は我々に喜びを与えてくれる。難病者は治り、ガンで余命宣告を受けたガン患者は余命年数を超えて

生きる。人生を諦めた者は人生をもう一度再生して生きる。そして、自分の内に眠る未開発の未知能力はついに開けて、生きている間にその未知能力の開発に成功する。たとえ、病にかかっても、早く治り、ケガもトカゲの尻尾のように再生する。まるで、夢のような話だが、今言ったことは私が経験したものである。そして私が治療した患者が経験したことである。まさに、夢の氣功ではあるが、毎回、毎日の鍛錬修練に励まねばそのチカラは生まれない。努力をすれば、その分の努力は報われる。まさに神は自ら助くる者を助く、である。大練大成である。

身体は頑健となり、頭脳は明晰に、朝早く起きて夜遅くまで目いっぱい動いて、後はベッドにバタンキュウである。夜はグッスリだ。God helpthose who help themselves 

貧富貴賤のこと

人生において、貧富の差は一生懸命に働けば差は縮めることはそんなに難しいことではないように思われる。しかし、貴賤の差は少し違うようだ。貴く生きる、誇りを持って生きることは、正直に誠実にウソ偽りのない人生ではないか?そして、賎しく生きることはウソ偽りの人生と直結する。富んでいても賤しく生きる者もいるし貧しくても貴く生きる者もいる。どれを選ぶかは全て我々のチョイスである。私の人生は決して物や金が豊かなものではない。でも賤しく生きてきた覚えはない。日本での経験、アメリカの経験を振り返ると金はあっても賤しく生きている者のオンパレードであった。

貴く生きる者は少ない。私はこの素晴らしい尤氏長寿養生功に出会って、貧しくても貴く豊かに生きることを学んだ。尤氏長寿養生功の内容自体が豊かで貴いからである。ザビエルが昔来日した折はどんな貧しい日本人でも、立ち居振る舞いは貴族のようであったとイエズス会に手紙を書いている。このように日本人は特殊な特別の生き方、人生を歩む民族であると思われる。最近世の中を騒がす事件は金がらみのものである。いつになればこの負の金の連鎖は止まるのであろうか?大勢の日本人が少数の日本人に騙されて、カネを取られている。ザビエル時代の貧しい日本人はきっと驚くだろう。現代の日本人は昔の日本人の爪の垢を煎じて飲まないといけないようである。

夢の9秒台

最近、陸上短距離走で誰が夢の9秒を切るかとの話題で持ちきりである。ひと昔前は最初の三十メートル、四十メートルを出来るだけ低く、早く走り、残りの部分は流して走る走法が主流であったと記憶している。が、今はそんな走り方は廃ってしまったのだろうか。もちろん私は陸上短距離走はズブの素人である。最近の私は筋肉養成トレーニングに興味が出て来た。さまざまな分野に尤氏長寿養生功の基礎訓練を応用してみたい。この夢の9秒台は先ほど言った最初は四輪駆動のクルマのように、中盤からはスポーツカーのようにトップギアで軽く脚だけの動きにすれば、可能性があると思っているのである。素人が何を言ってやがる、と言われてしまうかもしれない。とりあえず、2020年のオリンピックまで様子を見て見よう。

成功率九割以上

今日六月の講習会があって、遠く北海道から、九州からも参加者があった。名古屋からもいた。遠くから続々と氣のサムライ達が集まった。初対面の参加者である。氣功無経験者もいる。武術経験のある者達もいる。いつもより人数が多く時間が限られて、瞑想の時間を取れぬまま、氣の交流に移りその成功率を計算する。十一人中十人まで勁空勁はかけることが出来たのであった。百パーセントには未だ到達してはいない。が、着実に十割に近づいて来ている。毎日の鍛錬と修練のたまものである。毎日の日課の瞑想食事筋力トレーニングの成果である。

最近、とみに成功率がアップしているように思えるのである。別に自慢話をしたい訳ではない。人間の誰もが持つ氣であるから上手く氣と氣がコネクト、つながれば、相手の氣感(両手の間の感覚)が増せば動かし、投げることはそんなに難しいことではない。これより先、出来るだけ多くの人と交流して尤氏長寿養生功のエネルギーを感じてもらいたい想いで毎日の修練に勤しみたいと思っている。

ナルシスト人間

私が武術に関わり、半世紀が過ぎているが、どうも武術武道の世界にはナルシストが多いようだ。俳優さんか芸能人と勘違いする人間が多い。特に氣功武術の世界にナルシスト人間を見た時はビックリして、気持ちが悪くなった。いつも批判的に尤氏意拳の大先生を例に出しているが、今回もそうである。以前にこの大先生のホームページに掲載して、己れの写真を載せていた。全く鍛えられていない上半身を自慢気に見せてくれていたが、

私にはグロテスクで見苦しい四十男にしか見えなかった。他にもそんなアホな武術武道の大先生がいたのである。よほど自分の世界が狭く上手くいってないのかそんなチャンスがある時は深層心理の奥底にある黒いエネルギーがつい出てくるようだ。そんな裸体を見て道場生になるような者も精神欠陥人間であるに違いない。精神欠陥のある人間達の集団はどんなであろうか?そんな集団が社会に貢献することなどあるのであろうか?私はそんなトラウマで傷ついた人間が集まる集団が武術の一派を立てて、生徒を募り瞑想の達人として瞑想を教えている。私はその裏の事情を全て知ってるので、そんな集団団体には入る訳はない。裏の事情を知らない者達が騙されては入会しているのである。私がここで言ってるのは尤氏意拳の団体である。私にはとても信じられない。ナルシストのエネルギーは生徒達をどんな風に変革していくのであろう。どうでも良いことではあるが、大変興味深いグロテスクなモノではある。尤氏意拳の宗家創始総師範神田真澄はグロテスクなナルシストである。

神田真澄は瞑想家か?

大抵の禅の瞑想は何年もの禅の修行を体験して後に教え始めるのではないだろうか?神田真澄尤氏意拳宗家創始総師範は浅草で瞑想の講習会を開いていると言う。瞑想を習ったのは私を通して習ったと言うならば、私がアメリカに読んで日本拳法でチャンピオンになる為の訓練を受けた一ヶ月で、私の師母に面会がたったの二回である。私の瞑想の時間が十年で一万四千四百時間になる。三十二日で毎日一時間したとして三十二時間。三十二時間の瞑想の後に瞑想の達人として教えて良いものであろうか?瞑想のエキスパートが三十二時間で誕生するのだろうか?いくら考えてもそれは無いだろうというのが私の印象である。口が上手くて丸め込まれることを私は自分の経験でよく分かる。騙されてはいけない。すでに騙されて、高額のカネを供出させられた道場生がたくさん、いる。関わらないでいただきたい。武術家として、瞑想家としてのチカラは無い。経歴を誤魔化して宗家創始総師範と名乗っている。私の道場に通っている道場生、しかも一年くらいの道場生のレベルである。こんな者が教える立場に無いのは明白だ。禅の瞑想は禅のお寺に行くことを勧めている。グローブをつけた格闘は日本拳法に行くことである。食事は専門の食養家に、身体のことは医者へ行くのはあたりまえだ。全てのエキスパートであるには神田真澄の年齢では若過ぎる。それぞれ何年勉強修行したのか聞いてみたら、いっぺんにホントのことか分かる。前回の記事では武術家と名乗れないと言った。今回の記事でも瞑想家としての資格なく瞑想を教えている。神田真澄は日本拳法は教えられるかもしれない。瞑想は教えるだけの経験は一切ない。神田真澄は瞑想家ではない。

神田真澄は武術家か?

前にも言った革命家を気取る全共闘の会計は寮生から絞り取った寄付金をガールフレンドとの遊興費にとそのカネを持ち逃げした。尤氏意拳の宗家創始総師範を気取る武術家も九百万に登る大借金を返済しようとせずに逃げ回っている。あなたはこの持ち逃げ革命家の唱える革命を信じるか?このケジメをつけない武術家の唱える武術を信じるか?この革命家もこの武術家も同じ穴のタヌキである。カネとモノとオンナ、どこかで聞いたようなニュースの題材になるシロモノだ。私はこの革命家と武術家がどんな立派なことを言おうと信じない。言ってることとやってることが違うからである。このニセモノ達の目的は同じことである。カネモノオンナである。我欲の身。いい加減にして欲しい。四十三年日本を留守にして帰って来れば、また同じことの繰り返しである。そして神田真澄は、一時期ではあれ、私が立禅と座禅を教えた者である。私の人生は苦難とこんな裏切りの連続である。よほど私の業が深いのか、このオンナ好きの革命家とカネだカネだの武術家が私を見て、利用できる奴と思ったらしい。そう思わせてしまった私が一番悪いのだろうが、どちらもカネを持って、返そうとせずに逃げている。この行為に対する罰はどんなことになるのであろう?私には恐ろしくて、できることではない。そんな革命と武術は信じない。そんな人間のクズが唱えるモノは何であろう?この会計は革命家ではない。この神田真澄も武術家ではない。