人間の資質
私が感動した在日コリアンの元プロボクサーは韓国語の実名を明かして自分の人生を生きて来た。でも、他人を騙したりせずに自分の腕、拳一本で生きて来た。
パッキャオと互角に渡り合えるほどの力を蓄えた。でも傲慢にはならない。
この在日コリアンボクサーは例え、チャンピオンになっていたとしても、傲慢にはならなかったと私は確信する。
差別をする日本社会はもう一人のパッキャオだった。闘って、勝利した。
だから、試合をしたパッキャオに勝たなくても、相手のパッキャオがとてつもなく強くて、ノックアウト寸前まで追い込まれても、ダウンしなかった自分に
誇りを持った。彼にとっては、勝敗はどうでも良いものとなった。世界最強の
パッキャオと互角に殴り合ったことで
自分の力を確認出来た。自分自身が
どういう人間であるか、昔、チビと言われて、在日コリアンと言われて、差別された人間に証明することは必要なことであった。俺はチビであっても、在日コリアンであっても、弱虫じゃ無い。あの世界最強のパッキャオと互角に渡り合った。
殴り合っても、
俺は倒れなかったんだ、と
人間は自分の力を強さを確認すると、
自分に優しさが生まれる。真に強い者は
優しい。自分自身の中に感謝の心が
生まれた。自分を差別した社会に
介護士の職を通して、貢献したいと
思って、パッキャオを殴った手で、今はおばあちゃんの肩を揉んでいる。
もう仏サマの境地になっている。
こんな立派な、若者にいつか私も肩を
揉んでもらいたい。久々に爽やかで、
立派な話を聴かせていただいた。
この若者にはこれより先は良いことばかりが待っている。心が極楽で天国に生きているからである。逆に悪いことばかり起きる者もいる。心が地獄で餓鬼の世界に生きているからである。