生い立ち

我々は生まれる時には貧富貴賤を選ぶことは出来ない。私の私的な生い立ちを述べさせてもらうと、ものごこころがついた時には、食べ物が少なく、家に人が多い六人家族の一番下に私はいた。貧しく、小学校を卒業したかどうかも分からない母親に育てられていた。教育には家の仕事が忙しいと言って、学校の授業参観などには来たことは無かった。つまり両親は教育には無関心で私の教科書は買ってはもらえなかった。いつも教科書を借りて読んでいたのを覚えている。母親は仕事を満足にはせずと酒を飲む父親を怨み、その腹いせに私にヤツあたりをした。いわゆる虐待である。何故か知らぬが、いつの間にか在日コリアンとの関わりが出来て、その生い立ちを私に隠しながら、在日コリアンの不幸な歴史を私の耳に入れて罪悪感を植えつけて、私を利用して何か得て、自分のものにしようとする者が尤氏長寿養生功を習得した頃から、そんなことが始まった。不遇な生い立ちの反動で、私がテレビに出たことに嫉妬でもしたのか、突出したチカラを身につけて有名になりたいというような功名心の野心を抱いていた者が出てきたのに、ある時気づいたのである。野心と功名心は役者のように隠して、初めだけはおとなしく、従順であるから、教えはするが、場面、場面で本性が出て、言葉の中にツノやキバが見え隠れする。私がアメリカに行って貧しい私はバカにされ、利用されたが、武道を教授することが私のアメリカに滞在する大きな理由であるから、若かったせいもあり、べつに気にもならなかった。むしろ、私の自尊心は高かった。真面目に働き、結婚して家も買ってさらに少林寺拳法アメリカで育てるよう努力したが、いつも物足りない何かを私は感じていたのである。だから、貧困無学の家に生まれたコンプレックスは私には無かった。誰かを利用する理由もあるはずもない。さまざまなことを経験した後に尤氏長寿養生功に出会いを得て、師母と一対一の訓練が出来ることが楽しくて、稀なことで、世界一の師匠に習うことは名誉でもあった。であるから、ウソをついた経歴の詐称や、習ってもいないワザを習ったと言って、宗家創始総師範と自称することなどは私には全くもって、理解出来ないことなのである。人には他人には言えない隠したい生い立ちがある時もあるだろう。私の生い立ちも同じようなものである。が、私は少林寺拳法をバネにして、世界一の尤氏長寿養生功の氣功武術と出会い、教授出来るところまで到達して幸せになった。同じことは出来ないだろうが、自分の心を歪めることなく、何でも良い、自分が楽しめて、心がワクワクすることを毎日続けて、ウソの無い自分の世界を作ることが、生い立ちに打ち勝ち、乗り越えてついに幸せとなる。私は貧困無学の家に生まれて良かったのだ、母親の虐待が無ければ、今の私は作られ無かった。と思っている。生い立ちを自分を磨く磨き砂と思えば腹も立たない。