信念

ものごとを成すには強い信念が要る。

今まで尤氏長寿養生功に集まる者たちの中には信念無く、ウソをつき、自分に都合が悪くなると機嫌悪くなって他人を責めて、教えるもの無く、勇気と実力無くして勝手に教え始める者がいた。自分に無いものをあるとして、世の中を欺いて、師範を名乗る。呆れ果てた人間たちである。修行半ばで辞めて、私の許可無く自分の流派を作ってしまう。こんな者たちにはルールも仁義も秩序も無い。無いものづくしで、世の中を渡る。こんな人生はどんなに幸せを求めても、何も得られない。得るものは少しの日々の糧位で、その人生には良いことなど起きるはずはない。やましいことをすれば、人間である限りは、何か良いことをしたと想うことはない。他人に正直に言えない行動は心のどこかに引っかかることがあり、だから他人には本当のことは言えないので、やましい気持ちは身体のどこかにシコリとして残って将来それが病いとなって自分に戻ることになっている。短絡的に自分の欲と想いを達成しようとすれば、以上のプロセスで天罰と神罰、宇宙からの大きな最後の審判を受ける。カネに負けた信念を自分の天地のあいだほどの大きな誤解で正しい信念と思う頑固で愚かな者もいる。そんなことをしている渦中では自分で自分を理性的には見ることも出来ない。アホで哀れな生き方である。