不動心

禅や、特に武術武道に不動心と云う言葉が出てくる。不動心とはなんだろう?文字どおりに解釈すると動かない心と云うことになるであろう。では、動かない、何ごとにも動じない心をどうやって作るのであろう。私は直感的に尤氏長寿養生功を修行後にこの不動心を体験している。その時までに私は実に七百二十万回のジャンプすなわち震脚を訓練修行した。その経過を吟味すると、不動心を作るのは心がそう云う心になるまで、身体を練り、作るのである。ひと言で言えば、それは上虚下実である。不動体を作った後に不動心が出来る。表裏一体、心身一如なのである。瞑想だけではなく、身体を鍛えないといけない。禅のお寺で、雲水が掃除を徹底的にさせられることは不動体を作り、  座禅する。不動体と不動心を作った時にその心境は心身一如となって、頭でっかちな世の中への対応が変わる。禅の最終目的も武術武道の目的も心身一如の不動心と不動体を作ることだろう。尤氏長寿養生功の基礎訓練は徹底的に下半身を鍛えることである。瞑想と禅寺の掃除や修行と同じ運動を同時に行うので不動心と不動体が作ることができるのである。磐石な下半身を作ると武術ばかりでなく、禅の修行にも役に立つのである。不動心とは不動体のことであった。同じことである。心と身体は表裏一体なのである。分けることは出来ない。