武医一如

私が以前、夢中になってアメリカにまで行って普及しようとした少林寺拳法では拳禅一如と言う言葉を使い、拳と禅が両面の裏表のようなものである、との教えがあった。私は思うところあって、少林寺拳法を離れ、尤氏長寿養生功の門下に入り、ホンモノの中国武術中の核とも言える尤氏長寿養生功の習得に努めて、今、その円熟期を迎えている。その境地を一言で言えば、武医一如と言えよう。二メートルを超える初めて会う巨人を触らず、空勁で投げf飛ばして、痛みや中毒の患者を初回一回の治療で成功する。中国ではホンモノの武術家は伝統中国医学の医師でもあった、とのことである。私は日本で鍼灸を法的に出来ないので、タヒチの地に於いて武医一如の境地を遺憾なく発揮している。タヒチの巨人を投げ飛ばして、生まれて初めて会う患者の治療を初回だけの治療で成功させている。私は今の私の心境を表す言葉を幸福の一言でしか表現出来ない。嬉しくて楽しくて幸せである。人間は生まれて来て何を目指すのか?といえば、幸せになることしかないであろう。以前の私なら、 人間は幸せになることは無い、と断言しただろう。今現在は、私は人間は幸せになれる、と断言する。幼少期の母親の虐待を経験して長じるにつれて、女性に対して不信感を抱き、少林寺拳法でも組織の中の不合理性に失望して本部を去り、全く白紙になっていた時に運命の出逢いがあったのである。それ以来、私の直感を信じて、狂ったように過酷な訓練に耐えて、当時師母のトップの弟子となって私のチカラを認められて、この氣功の教授を許可されたのであった。ワザは難しく、勁空勁を使う時には筋力を使わない。身体の筋肉をユルユルにして、 なおかつ、初対面の者に勁空勁を使って、 投げ飛ばす。至難のワザである。誰も挑戦しない。しかし、私は三十年の努力精進の結果、成功率を百パーセントに引き上げることになった。そして、治療も初回の一回で、完治する者も出始めた。痛みは必ず一回の治療で消失するようになっている。また、針が手元にない時は氣のみの氣功治療でも痛みは消失することになった。人間には不可能を可能にする能力が生まれながらに備わっている。持っている全てを駆使して全身全霊で修練すると氣が養成されて、目標とするところまで、自分を引き上げることが出来る。氣功を我がものにしたい者は私に続け!ホンモノとはどういうものか教えてやろう。今の私には自信がある。このまま埋もれさせてしまうことは勿体無い。世界に私のワザを示してその真価を問う。