ユーモア

師母の性格個性はとてもユニークで、冗談が好きで、私をいつも笑わせてくれた。それでも初めから、そうであった訳ではない。初めのうちはとても怖く、 何か言っても、不機嫌な顔付きで私を威嚇する。通訳の中国人女性が師母は日本人が嫌いだ、と言っていたけれども、それは師母ではなくて自分の感情を師母の立場を利用して言っていたのだと理解したのはずっと先のことだった。ある日に私が何気なく取った行動に壁に手をついて身体を折り曲げて大笑いをしていた。それを見て、私は師母の仏頂面は演技の一部であって、本当の師母はユーモアを解する冗談好きな心の暖かいおばあちゃんであったと私は納得した。夫であったドクター尤老師を亡くして、たった一人で老後を迎えて、ドクター尤老師の残した尤氏長寿養生功を伝えねばならないその責任を時々現われるすぐ師匠と名乗るどこの馬の骨とも知れない輩がいるので、十分に警戒してこの武術文化を守ろうとしていただけのことであったと後になって私は理解したのである。私が教える立場になって、カネ儲けと自己宣伝の自己中心の、心の捻じ曲がった者の私的な欲望の為に尤氏長寿養生功を利用する者を、私も含めて、心を簡単に開くことが出来ない理由があったのである。だから、私は極力、わざと冗談を飛ばして、これを教えることは興味なく、習い事として、この稀な氣功が好きで習いに来ていると師母に伝えたかった。それを師母本人ではなく、自分の感情を師母に押し付けて師母に言わしめていた意地の悪い者が道場内に存在して我が物顏をしていた卑怯な者がいたのに気づいたのであった。それから先はもっと私は訓練に励み師母の心を掴み、一番弟子の存在となったのである。私と師母の漫才のようなユーモアのやりとりは道場内の雰囲気を一変して以前の重苦しい空気はどこかに吹き飛んで、自由で、明るい雰囲気の良い道場となった。私が入門した時と私が日本に一時帰国して日本に私の道場を開いて自分のチカラを試そうと決心した時にはガラリと道場の雰囲気が変わっていた。何か事ある度に私の名前が出て、私のいない道場では、毎日、ミッツはこうやった、ミッツはこうだった、と私の名前が出ない日は無かった、と私は後になって聞いた話である。ユーモアは人の心を和ませて、人の心と心を結びつける接着剤のようなものであると思う。