情は東洋人、特に日本人にとって特別なものであって、情けとも呼んで、日本人の生きる上で助けられた者は数多いのではないだろうか?私も人生の危機を何度も人の情によって助けられている。私は日本の道場生指導員の情に囲まれて、私の危機を助けられている。タヒチに於いては、すでに情ある道場生が集まっており、日本同様に情で結びついた関係を築いている。日本もタヒチも私にとっては居心地の良い土地柄である。タヒチも日本も島国なので、人間関係は情によって支えられる国柄であるかもしれない。情に仇で返す者には友人や人も集まらない。タヒチの犬にたった一度エサを与えたら、私が大きなイヌ三匹に囲まれて困っていた時にこのエサを与えた犬が小さいのに三匹の大きなイヌを蹴散らして私を助けてくれた。随分と助けて何度も高価な食事を与えた者は犬以下の行為で報いた者もいる。犬が情を知って、人間が情を知らない。私は尤氏長寿養生功の組織を情のある団体としたいと考えている。武術団体の下部にはお金は回らない。上部に集まるようになっている。我々の団体では、優しさと思いやりをお互いに持って、上も下も同じように経済的に潤う仕組みを作りたい。私には反面教師となっている組織団体や道場、個人は数多い。