人の情け

この世の中に人の情けが無かったならば、この世を生きる我々の人生は何と殺伐としたものになるだろうか?と思う。まるで、砂漠の中にオアシスが無いようなものになるだろう。情けをかけても、仇で返す者もいる。人の世のルールを守ることの出来ない人間である。何も日本人でなくとも、外国人であっても情けをかけてくれる人がいることを私はアメリカに住んで知っている。私が苦学しても、東洋医学を学びたくとも、鍼灸学校の入学金や授業料を持っていないことを理解して貸してくれたアメリカ人の友人がいた。私は嬉しくて、嬉しくて、喜んで、学校に通った。早く資格を取って、借金を返済しようと英語と中国語だけの授業に食らいついた。何人も州の資格試験を失敗する中で、初回の試験に合格した私はすぐに治療院を開いて、働いて借金を返済した。情けを受けた恩返しに恩ある人の家族を夜中であっても、家に出向いて治療した。情けを受けたら、その恩に報いるのが、国境を越えた人間のルールである。砂漠の中でカラカラに乾いた喉を潤して生命を救う水を与えてくれた人に感謝することは人間として当たり前のことではないか?誰か困っている時には、情けをかけることは日本人だけのものではないのは、私の話で分かるであろう。私の主宰する太田氣功道場は、私が受けた情けで作られたものであるので、困っている人がいれば、情けをかけることの出来る組織団体でありたい。血も涙もある情の氣功道場でありたい。師母も私を助けてくれた、アメリカ人の友人も情けをかけてくれたことで、今の私がある。一回エサを与えただけの犬は私が三匹の大型犬に囲まれた時に吠え散らして私を救ってくれたが、人間でありながら、この犬以下の行動を取る者もいる。