心と五体満足

五体満足で生まれて来なかった者が障害をものともせずにスポーツや学業で健常者以上に結果を残しているのを見る度に私は心の問題であると思わざるを得ない。心は身体の一部がないことを恨み、自暴自棄になったこともあっただろう。五体満足で生まれながら不平タラタラで学業も続けるチカラも無く、勉強もせずと不平不満をいつも口にする者たちを見た私は五体満足で生まれたことに感謝もしなければ、心自体に障害を持って生まれたということにならないか?と思うのである。何とも情け無い。私は現在身体障害者となって、五体満足ではない。しかし、氣の獲得の為に鍛えた身体と心に自信を持って、今でも日々努力を続けている。その他にも障害を負った膝と骨折した手首のリハビリで毎日はとても忙しい。でも、今までのリハビリの結果、膝と手首は五年前とは比較にならないほどに向上回復した。私の心は身体の一部が正常に動かなくなってもめげてはいない。逆に以前よりしたいことが増えて達成してやろうという意欲が大いに湧いてきている。不自由な身体をカバーするものは身体そのものではない。心はどんな逆境も我々を乗り越えさせてくれる。生い立ちに負けてカネを欲しがる者は五体満足で生まれても心は満足していない。心こそは身体を支配する唯一のものであった。タヒチでは私の身体をもう一度立て直して障害を取り除き、私は自分の人生を生き抜きたいといろいろ計画している。