戦場のアメリカ

私がアメリカに移住したのは1972年のことだから、47年前のことになる。当時のアメリカではブルースリーが映画で評判を取り始めて武術武道が流行って来ていた時であった。ベトナム戦争終結して帰還兵が帰国してアメリカ社会が混乱し、経済が落ちて、日本が経済成長して日本の自動車が燃費の良さと故障の少なさで日本の文化が受け入れられていた時期でもあった。武術武道を教えるアメリカ人が増えて、そのワザは戦いの道具と思うアメリカ人には魅力的に思えたはずである。知っている通り、アメリカは銃社会で、銃は簡単に手に入り、各家庭に護身用として家の中に置いてある。私の道場の生徒の一人は事件に巻き込まれて拳銃で頭を撃たれて絶命した。事故や事件で生命を落とすアメリカンは日本より多い。戦場と言っても過言ではない。日本人の留学生が他人の家に間違って入り、英語が出来ずに殺傷力の強いピストルで撃たれて死んだ事件は記憶に新しい。歴史と文化の違いがある国での生活は難しく、注意しないと生命を失うこともあり、アメリカはその典型的な国である。そんなアメリカで、私も例外では無く、若い頃には道場に突然現れたアメリカンと戦いになったことは一度や二度ではない。麻薬でラリった者も多いから、そんな事件は必ず起こる。一度、練習していると真っ裸のフリチンで私の前に出て来て、オレが相手になってやる!と言って譲らない。ケガする前に出て行け!と言っても出て行かずに練習を邪魔する。最後に私の勘忍袋の緒が切れて、じゃやろうと言って、試合をしてみたが、チョット蹴り飛ばすとヨロヨロ倒れるのであった。それでも、もっとやると言うから手を捻り倒してもう止めようと言っても続けると言って、辞めないので、顔に一撃するといっぺんに鼻血が出てしまう。警察が来ると面倒なことになるので、みんなで、外に引っ張り出して、もう来るな!と言って、練習を早々と切り上げて、逃げるように帰宅したのである。振り返って思うにこの男は麻薬で状況が判断出来ずに我々の練習を見ているうちに自分がブルースリーになったと勘違いしていたのではないか?こんなことは笑い話で済んだけども、実際には、柔道家を自称する日本人はサンフランシスコのストリートで黒人のグループに袋叩きに遭って、腕の骨を折られたこともあった。間違えば、殺され、腕の骨を折られるアメリカという国は決して日本のように平和な国では無い。お金の無い者は見向きもされず、チカラの無い者は下に置かれることになる。そんな国のアメリカで、私は四十三年ものあいだ、殺されずに生き抜いて、日本に帰国出来たのである。まさにアメリカは戦場であった。