美しい人

私は美しい人が好きである。誰でもそうだろうが、醜いものより美しいものを好むのは世の常と言うものだろう。ここで言いたいことは、外見だけのことだけを言っているのではない。私のように老齢になって来ると、余計に醜いものを忌避して美しいものを好むようになって来ており、美しい顔や外見は美しい中味があって顔や雰囲気、外見を作っていることが分かって来る。醜い行動をとる者は心が醜い。顔も外見も、当然醜くなって来る。是は真理である。今まで、私の人生を通りすぎて行った者を振り返ると醜さは全てにおいて共通して醜く、美しい人は本当に心も美しかった。自分で、自分を美しいと信じて、化粧、親からもらった容姿を自慢して誤魔化す者もいるし、我々の好みもあるから、一概に言えないかもしれないが、美しい容姿と心は繋がっている。自分を自分で、美しいと言うナルシストは心が醜いと言って間違いないだろう。美しい心、美しい容姿、美しい人生は一貫した氣、エネルギーの現れ、発現と言って良い。外見だけで人を判断するのは稚拙であって、心を以って、美しいと、判断する方が間違いの無い方法である。心が美しい人を好きになりたい。不思議なことに、氣功を学び始めてから、心の美しい、外見も容姿も美しい人との出会いが極端に増えて来ている。心の醜い者たちは私の人生からは去って、再び会うことも無い。私が現在、楽しい、嬉しい、幸せな毎日なのは、美しい心の人々に囲まれて、生きていることが原因なのであると私は思っている。