自分と向き合う

現代の生活に於いて、真に自分と向き合うということが少なくなって来ていると言えるだろう。私は尤氏長寿養生功と出会った時から、さまざまな試練を通して自分と向き合わざるを得なかった。最初はイジワルな通訳の中国人のオンナが日本人には特別な監視体制で行動を見守り、合格したら入門を認めると言う。まるで自分が師母のような口振りである。やれやれ、変なところに来てしまったと思いながらも、あまりなワザの面白さにそんなアホなことを忘れて訓練が始まり、練習がキツく厳しくなって来るとジャンプの回数の数を数えて限界に挑戦すると30回もできない。 私が限界と思える回数は、そのところは、実は限界ではなく、まだまだ先のところが限界であることが分かり、ぶっ倒れるまでやってもまだ限界ではなく、その先がある。延々と続く線上に限界が存在することが理解出来た。その時に自分が何者で何を欲して何処に向かおうとしているのか?というところまで哲学的に考えた。自分と向き合うと自分の知らない自分が現れて向上した自分が存在し始める。自分の人生を向上させるには向上した自分が必要である。と同時に身体も変わらねばならない。尤氏長寿養生功は自分を見つめなおす良い手段となる。心身の修行となる。とことんまで肉体を鍛え、とことんまで精神を瞑想で鍛える。人間の一生の中には、特に失敗して落ち込む者の再生を助けて、新しい出発をする者には必要なモノである。私の勁空勁を体験して自分の持つ才能に気づき、新しい人生を歩み始めた者が結構いる。政治家になったり、画家になり、成功している。彼らが自分と向きあい、新しい自分を発見したからである。私も自分の中に眠る才能を今、開かせて爆発させようと毎日を楽しく、嬉しい幸せな日々を過ごしている。新しい自分を発見した人生を送ることは、人生を二度も、三度もやり直せることである。一回や二回の失敗が何であろうか?私は一度目の結婚を失敗し、二度目の幸せだった結婚では妻が先に他界してしまった。心身が元気で、氣が充実している限り、生きている限り、次の人生はある。陰陽の哲学では、最低の真っ暗な陰の中に小さなポチが現れて、白い明るい陽が現れて陽気が最大になる。最大になった陽は小さな陰が出てまた最大の陰に向かう。失敗や境遇がどうのこうのと心配することは無い。ドン底に居ても、明るいポチは現れる。逆に仕事に成功して大金を手に入れても、奢り昂ぶっている間に底に向かうポチは必ず出て来て小さくなって行く。どんな時でも氣を訓練して充実させて置く限り、病氣を避けて、老いを遠ざけ、人生を愉しむことは出来る。人の心を傷つけて裏切る行為をした者にはロバの耳に念仏だろうが、人の心とつながる情や思いやりが、人生の浮き沈みを左右するほどに自分の人生に影響を与えたことは、私の体験から、実証済みである。何があっても、苦しい時でも、情と思いやりを忘れず、自分と向き合えば、素晴らしい人生を送ることができると、力説したい。