日本の底力

ラグビーで、ラグビーお家芸であるスコットランドを破り、四戦全勝で予選を勝ち抜いて決勝トーナメントに進む。外国人が半分いるとはいえ、柔道がお家芸の日本代表を外国勢が破るようなものである。小が大を制して、チカラの弱い者が強い者を闘って破るようなものである。武術の世界では、チカラの無い弱い者がチカラの強い大きい者を倒すことを理想とする。強きを挫き、弱きを助ける。それは日本の武士の道徳であった。今の日本にはもうそんな心は無いかも知れないが、少なくとも、私はそんな心を持って尤氏長寿養生功を訓練教授している。

尤氏長寿養生功とは健康法であるが、基礎訓練は意拳の流れを汲む武術のそれであるから、私は五十年のあいだ武術に携わり、武術の最高峰の頂点にある尤氏長寿養生功を教授する身になって武の精神を極限まで考えるようにもなった。ラグビーに於いても、武士の精神を、心を持ってプレーしているであろう。アジアにおける外国の植民地主義から日本を守り、国家としての独立を守ったのは日本の武士であった。今でも、日本のチカラの象徴はサムライ、武士の心、精神であろう。だから、現代においても、武術の心、精神、理想は日本人には受け継がれている。受け継がれるべきである。サンフランシスコで私が尤氏長寿養生功を修練している時には私の練習相手も私のサイズの倍もある身体の白人アメリカンや私の頭が肩までしかない大きい中国人である。そして海外の武者修行の時も身体の大きい巨人のようなサイズの運動選手と武道家を相手に勁空勁を試したのである。日本のテレビ出演の際の相手も元ボクシングチャンピオンをわざわざ選び、投げてみろ!という設定で勁空勁のチカラを試された。リハーサルも何も無い。ほとんどブッツケ本番であった。私の勁空勁のワザはその時はまだ完成をしていない。今、その時のビデオを見ると恥ずかしくなる。でもそんな経験があったから、現在は初対面の人間を相手に百パーセント勁空勁で投げたり、コントロール出来るようになっている。外国に長く住んでいるとどうしても自分を日本人として意識せざるを得ない。その時の精神的支柱と規範は日本の武士の心、精神である。今の時代にそんな古臭い、と言われるだろうが、日本を離れて外国に住んでみれば、私の言うことがすぐに理解できるだろう。日本のことを知らずに日本の文化を勉強しないで外国に行くのは、恥をかくことがある。外国の人間が日本人を尊敬するものは、日本の伝統文化や精神である。外国人と同じ文化ではない。カネやモノでもない。日本の本当のチカラ、底力とは、日本人がラグビーをして勝ったとしても、勝つことだけを尊敬するのではない。小さな者が恐れずに大きい者に立ち向かう気迫、態度、フェアープレーなどのサムライ精神、武術の心、などの日本独自の文化伝統の中身なのである。尤氏長寿養生功も中国の武術の流れを汲んでいる限り、私も中国の武術の精神を受け継ぎ、また日本人である限り、日本の伝統文化、武士の精神と心を受け継ぎ、外国人と接しなければならないといつも感じている。私のワザを見て、ただ触れずに投げることだけに焦点を当てて、裏にある心と精神を忘れる者たちは多く、すぐに道場を抜け出て自分の道場を開いてしまう。底力が無いのでいくら和の氣の武術と言っても説得力は無い。精神が見られない。