好きか嫌いか、やるかやらないか、

私が尤氏長寿養生功を知って、師母の道場で最初に一時間もの站椿功を終えた後に床にぶっ倒れて仰向けに寝ている時には身体はガチガチになって疲れていたのであるが、精神は逆に冴えていて、心の底から湧き上がって来た感覚と言葉があった。不思議とその感覚と言葉は何時も練習時も日常でも私にまとわりついた。私が探していた武術、師匠を、遂に見つけて、最初の訓練をしたのでこんな感覚が生まれたのであろうか?それを今から説明する。人生は難しく考える必要がない、実に簡単なモノだったのだ!と分かったのである。生きる方程式と言えるかもしれない。人生の中で道が別れて選ばねばならない時は必ずある。と言うよりは選択の連続で生きるのではないか?好きか?嫌いか?の選択とやるかやらないか?の選択の連続の四つのコンビネーション、組み合わせで人間は行動して人生を送り、幸せになるかならないかが決まる、と私は悟ったのである。それ以来、私の生きる指針となった。シンプルな自分の体験に基づいたこの生き方は今現在も続いている。好きなことをやらない生き方は幸せにならない。嫌いなことをやる生き方も幸せにならない。真に幸せになるには、好きなことをやる。嫌いなことをやらない。こんなシンプルなことだった、と尤氏長寿養生功を習ったその日に悟ったのである。今まで、何と無駄な時間を過ごして来たのだろうかと地団駄を踏んだが、人生のやり直しに早いも遅いも無い。気づいた時が吉日であると思い、その時以来、私の信念に基づいて生きている。何故に私はこんなにも毎日幸せに生きているのだろうか?と考える時がある。終活と言って、断捨離と言って、人生を終えるに無駄を捨て、必要最低限の生活を送ることが流行しているが、面白い話がある。以前、テレビの仕事で、中学生の女の子が私のこのシンプルな人生の方程式を聞いてこんなことを言った。数学で習いました、好きをプラスとする、やるもプラス、嫌いをマイナス、やらないがマイナス、好きなことをやる、はプラスかけるプラスでプラスになる。嫌いなことをやらない、はマイナスかけるマイナスだからプラスになる。と。この小さな女の子は哲学者であった。人生の目的は幸せになることではないだろうか?良くプラス志向の生き方が幸せを呼ぶと言われるが、この私が悟った四つの組み合わせでプラスの生き方は幸せを呼ぶと思われないだろうか?人生の岐路に考えてもらいたい。自分の深い心の底の感覚と外に向ける行動力の組み合わせとも言えるかもしれない。事実、私は幸せになっている。