長命と短命の氣

私の知り合いのアメリカンでチベット人と結婚してインドのダラムサラに住んでダライ・ラマの側近で秘書を務めていた人が言っていたことがある。この人の父親のギックリ腰を治療して友達になった。バークレー大学の教授であった。そのこととは何の関係のない話ではあるが、チベット密教の高僧は死の瞬間を迎える人の氣が頭頂部から抜けて行くのが見えるのだ、と言う。尤氏長寿養生功では氣を下に下げる訓練をして健康長寿になると言うのが理論としてあるので、そこで私は仮説を立てた。長命になるには氣を上げないことが大事である。意拳を訓練した先人たちは全員が長命であった。站椿が関係している。特に尤氏長寿養生功では、師母が百歳を超えて若い生徒を空勁で投げ飛ばしていたように、もっと長命になることができる。私の生徒が以前、上に向かって飛ばされていた者にそれでは短命になって死期を早める、と注意した時には私の尤氏長寿養生功を宣伝して他の氣功を批判していると言われたのであるが、氣を上に向かって上げれば病気になって死期を早めると言うことはこのチベット密教の高僧が見える氣の話から私が持った仮説を紹介したまでのことであった。鍼灸の経絡を通る氣にも上に上がる氣と下に下がる氣があって、例えば、脾胃経の経絡は下に下がると脾胃の働きは調子が良くなって、氣が上がると気持ち悪くなって吐いてしまうのである。脾胃の経絡は身体の前面を足の先まで流れている経絡で、脾胃の丈夫な患者はどんな重篤な病気になっても回復すると言われている。病気になって食が細くなって食べられなくなった患者は助からない。だから、私は病気になった患者には、まだ食欲はありますか?と聞いてまだ食べられると言う患者に、大丈夫!良くなって来ます、と言って励ますことにしている。