情は東洋人、特に日本人にとって特別なものであって、情けとも呼んで、日本人の生きる上で助けられた者は数多いのではないだろうか?私も人生の危機を何度も人の情によって助けられている。私は日本の道場生指導員の情に囲まれて、私の危機を助けられている。タヒチに於いては、すでに情ある道場生が集まっており、日本同様に情で結びついた関係を築いている。日本もタヒチも私にとっては居心地の良い土地柄である。タヒチも日本も島国なので、人間関係は情によって支えられる国柄であるかもしれない。情に仇で返す者には友人や人も集まらない。タヒチの犬にたった一度エサを与えたら、私が大きなイヌ三匹に囲まれて困っていた時にこのエサを与えた犬が小さいのに三匹の大きなイヌを蹴散らして私を助けてくれた。随分と助けて何度も高価な食事を与えた者は犬以下の行為で報いた者もいる。犬が情を知って、人間が情を知らない。私は尤氏長寿養生功の組織を情のある団体としたいと考えている。武術団体の下部にはお金は回らない。上部に集まるようになっている。我々の団体では、優しさと思いやりをお互いに持って、上も下も同じように経済的に潤う仕組みを作りたい。私には反面教師となっている組織団体や道場、個人は数多い。

トラウマの修復

瞑想の法則については述べたが、もうひとつ付け加えなければならないことがある。長く瞑想を行なうと、幼い頃のことが頭に浮かんで来て、どうしてこんなにも細かいことまで覚えているのであろうかとビックリするくらいに思い出して来る。私の場合は母親に受けた火のついた線香を身体に押し付けられた今で言う虐待であった。もう忘れていたはずであったが、その時の状況がまるで映像に映っているように明瞭に頭の中に思い出して来る。このことを私の仲の良い信頼する中国人の先輩に話をすると、そうなんだ、瞑想は昔の脳に受けたキズを修復する働きがあるんだ。と言う。言われて納得した。いわゆるトラウマが消失する。続けて瞑想していると、いつの間にか、昔の悲しい出来事を瞑想中に思わなくなってしまった。だから、悲しみが消えて、今この時に専念できるようになる。精神に良い影響を与えるようである。こんなことを言えば、我田引水のように聞こえるだろうが、私の体験を紹介しているのであるから間違いのない事実である。トラウマを冷静に分析できるようになって、判断を誤らない。精神は安定する。瞑想の効能はこんなことまである。継続が大事だ。私の瞑想は三十年を超えてしまったが、辞めようとか辞めたいとか辞めたことも一度もない。身についてしまった。瞑想はしないと気持ちが悪く落ち着かない。タヒチで知りあったフレンチタヒチアンも朝早くから瞑想をしていた。今ではすっかり友だちになった。ヨガもしていて、私の氣を敏感に感じている。もうすでに仲間同志となっている。家の空き地に新しく家を建てて、無料で住んで良いから、と提供されている。驚くほどに景色の見晴らしの良い場所で、日本ではありえない場所なのだ。私には勿体無い。私のタヒチ移住後には、とても良いことが待っているように感じる。日本の紳士指導員に囲まれているだけでも奇蹟的なことなのにタヒチでも奇蹟的に優しい紳士道場生にすでに囲まれている。奇蹟の連続である。尤氏長寿養生功を長年続けるとこんな奇蹟に出会う。私の人生をこんなにも楽しませてくれる。何遍も言って来ているのであるが、私は私の人生を嬉しく楽しく、幸せに生きている。

 

進捗状況

来年のオリンピックまであと  400日と言われているが、私もオリンピックの後にはタヒチへと移住するので、あと400日になるだろう。私のビザ申請の為に去年知りあったタヒチアンが今動いてくれていて、書類がひとつづつ完成して、タヒチ側で申請してフランス本国の入国管理事務所で許可を得て、長期滞在ビザが発行される。今までクリアーで無かった事がハッキリして来て、今年来日するフランス系タヒチアンと日本のフランス大使館に一緒に行って、再度確認することとなっている。日本の道場生にも助けられているのであるが、タヒチ側でも道場生の助力を得て、ビザ申請の問題は無くなっている。私の中医のライセンスもカリフォルニア州の Acupuncture Board  から送られることになっている。氣功の経歴と中医の経歴の書類も作成してタヒチに送った。ビザ申請の進捗状況は完璧に進んでいる。住む場所も無料で提供されることにもなっているので、私としては、することは何もない。身ひとつでタヒチに行くだけとなった。四十五年前にアメリカに行った時に比べれば、月とスッポン、の違いになっている。これも一重に東洋医学のライセンスと氣功のおかげである。アメリカで勉強修行したことは無駄では無かった。私のしたかったことを勉強して私の行きたいところに行って、したかったことをする。自由自在な生き方をして自分の一番得意なことで生きる人生は生きて来た甲斐があるということになる。私は幸せでならない。この人生は私一人で築いたのではない。上述した私の道場生の尽力があってこそ、可能となり、幸せを感じることになった。師母が厳しく、本当に厳しく、私を鍛えてくれたからこうなった、と思わざるを得ない。脚が一本ダメになったが、こんなにも幸せになっている。後悔はない。あとの日本滞在の期間を全力で指導員への教授と日本全国に氣功学校の支部、氣功道場を設立することに専念する。

逆境と順境

私は今までの人生の中で、何度となく逆境を経験して来た。結論から言えば、逆境を乗り越える度に逆境の後はもっとより良い順境の状態になっていた。次に逆境が訪れてまた順境となる。そんな経験があって今がある。今私はまた逆境に陥って私の指導員の助けによって、順境になった。逆境は順境になる準備期間のようなものであって、ジャンプをする前に膝を曲げてジャンプすることと似ている。大きく屈んで沈み込むとより大きくジャンプできる。逆境は順境になる為のプロセスであって、心が揺れることもあるだろうが、卑屈になったり、自暴自棄になる必要はない。より良い順境になる、より大きいジャンプをする前に深く膝を曲げて屈まなければ、次のジャンプ、順境になる訳が無い。逆境は人生において、必要なことである。逆境が大きければ、ジャンプアップも大きく、より高い順境となる。逆境の度に私はよりもっと幸せになる。経済的困窮とニセ師範の叛乱など、今回タヒチに行く前の逆境はタヒチ移住後に私がより幸せになる契機となる。そう思えば、逆境は怖くない。

瞑想の法則 変性意識状態

長年瞑想を続けていると、瞑想には法則があると思われる。初めのうちは、何も考えるな、と言われるとますます頭の中に次から次へと走馬灯のように妄想が現れて、実にくだらない、日常のどうでも良い、今晩は何を食べようとか、銀行の残高が足りないとか、今この時に浮かばなくても良いことが出て来てしまうのであった。もう少し日が経つと、今度は、こんなことをしていて無駄な時間を使っていないか、何の益があるのだろうか?と言う不埒な疑念が湧いて来た。そして、ついに諦めて、ただ立つ為に立つ!立っていれば良いと開き直りの境地となり、ひたすら黙々と瞑想をしたものである。私は瞑想のことについて何の説明も無いまま、ただ立て!と言われて初めから一時間立っていたから、ある日突然一時間立ったので、私も含めて一般人の初心者と同じ自然な反応であったと考えられる。瞑想を楽しむなどということにはほど遠い。しかし、ある日を境に心境はガラリと変わる。立って瞑想している時にまるで幻覚を見るように感覚的に私の身体が急に大きくなり始めてついには頭、両腕、背中、肩などが壁に当たって練習場所の車のガレージいっぱいに身体は巨人のように大きくなって、その部屋が子どものオモチャの箱の大きさになってしまった。小さな箱に入っているようで窮屈だ。また次の時にはチビた鉛筆のように身体は小人のようにさらにもっと小さく、小さな鉛筆のサイズになった。そんな奇妙な感覚の回数はドンドン増えて行く。しかし、もう一度同じ経験をしようとして瞑想すると、二度と同じことは起きない。また今度はまるでエレベーターに乗ったように上にドンドン上昇して行く。次の時には地球の中心に向かって下降する。何処まで登って降りるのか分からない。怖くなって目を開けると、ただ立っていただけだった。他の先輩同輩に聞いてみると、色が見えていた。こうなった。ああなった。と言って、人それぞれに違う体験をしているようだ。この変性意識状態になった時から瞑想への取り組み方が変わった。瞑想が面白くなっていた。消極的な関わり方から積極的なそれへと完全に変化した。瞑想の後の達成感に加え、汗をビッショリかくようになり、精神は落ち着いた。身体は相撲取りのように脚は太く、上半身特に脳がスッキリして下半身は重く強く、上半身は軽くて自由自在であった。こうなった後に瞑想の最中に急に恍惚感を得て、多幸感があり、このままジッとしていたい、動きたくても動けなくなった。あと何時間でもこのポーズを取っていられると思った。今でも覚えている。微動だにしない。瞑想のゴールがこの心境なのだ、と悟った。この境地を得る為に瞑想すると、氣は自然に身体の中から外に出てくる。脳波がβ波からアルファー波へとそしてシータ波に変わる。短く大きい波長から波長の長いものについにはほとんど上下の無い波長シータ波へと変わって行く。トゲトゲしいものから丸くてユックリなものに昇華される。この境地さえあれば、移ろいゆくものスグ滅びゆくことなどには興味無くなって瞑想とこの境地さえあれば、人間は幸せになれると確信するようになった。それ以来、瞑想は欠かしたことは無い。1987年からだから、32年になるだろう。32年の月日の瞑想は決して長くない。師母は70年間も弾腿と言う型をしていたと言うから、瞑想も七十年していたに違いない。師母に比べれば、私など、まだ小僧で、ヒヨッコなのだ。

職人氣質

日本には職人氣質の究極の技術を身につけた職人が数多くいると思われる。私はこの職人氣質の性格というか特徴は日本人独特の民族性ではないかと思っている。針の先をとことんまで尖らせて、技術を究極にまで高める。尤氏長寿養生功の勁空勁は同じように針の穴を通り抜けるような修行の末に出来るようになるのだ。少なくとも私の経験ではそうであった。私の前に先輩道場生が四年、十年と私より先に修行訓練を始めている。追いつく為には、才能資質に劣る私は他の道場生よりも練習を数多くこなすしか方法は無いと考えて他の道場生が週一回来るならば、私は毎日 二回練習して師母とマンツウマンで教えを乞うたのである。妥協は無かった。家財道具を全て売ったお金で月謝を捻出して他の道場生の何倍もの月謝を払い、私の患者さんの家に無料で一室を借りて支出を抑えた。その時の心境は、やっと私の理想とする武術に出会い、しかも、その武術は私の東洋医学の基礎の氣を養成する武術気功であったので、渡りに舟という想いがあり、私の生涯でこの機会を置いて、学ぶことは出来ないと考えた。後にも先にも今しかない!という心境であった。毎日が楽しくて楽しくてしょうがない。好きなことを好きなだけ徹底的にワザを研究して究極のところまで高める職人氣質の日本人としての面目躍如となった。回りに日本人は誰もいない。アメリカ人と中国人しかいないので、日本人の代表として見っともないところは見せられない。倒れるまでジャンプした。站椿功も一旦ポーズを決めたら一時間、手を降ろしたことは無かった。尤氏長寿養生功の訓練は職人氣質の者の為にあるようなものである。だから、一流の職人や一流の芸術家の言葉に対して私は敏感に反応する。共感する部分があって、何を言おうとしているのか、自然と私の経験と重ね合わせて、理解できるのである。一流のスポーツ選手、一流の武術家、ボクシングのチャンピオン、弓道の師範、等、等、我々は究極を極めた同じグループのメンバーのようなものである。職人氣質の集団である。私はテレビ局の番組で以上の一流スポーツ選手や武道家と氣の交流をした。そのせいで、その分野の特徴が良く分かり、その後の氣の研究にとても役立った。テレビ局の要請はとても無理なこともあったが、私の良い経験になるので、なるべく断らずにその一流の分野の人と交流した。一流のスポーツ選手や武道家はさすがに氣が出ている人が多い。氣が出ているので、意外に簡単に投げ飛ばして氣でコントロール出来たのであった。これほどのチャンスを与えられた私は運が良く、尤氏長寿養生功を拡める条件を全て与えられた。感謝の言葉しかない。海外では、日本人の職人氣質はとても珍しく、海外には無いものであるから、驚異を持って、受け入れられる。日本では職人氣質と言うと古臭く頑固なイメージがあるだろうが、日本の古臭く頑固な職人氣質の技術は海外では、もろ手を挙げて歓迎される。このことからも、日本人はもう一度西洋主義に染まってしまった考え方を反省して考え直す時に来ているのではないだろうか?職人氣質は悪くない。むしろ、日本人の  鋭い感性で民族性なのである。そして今の時代、海外では、受け入れられている。尊敬の念で扱われる。

生きることは尊い

百歳まで生きて行くに際し、ただ生きるだけでは見苦しい。病氣や災害を乗り越えても、達成しなくてはいけない目標を持って生きて、生きることの尊さを実感する。鶴のような脚をして、ヨロヨロと歩くアメリカ人の老人を何人も私はアメリカで見かけた。ただ、死を待つのみの老後は情け無い。老後だからこそ、自分の得意なことで、誰もしたことのないことを成し遂げたい。例え百まで生きなくとも、精いっぱい生きようとする努力が大切なのだ。どんなに貧しくとも、心に高貴な理想やワザを持つ者には助けの手が差し伸べられる。自分の中にある誰もマネ出来ないものは氣が最高に眼から発せられて、心ある者はそれに気づく。ウソで固められた者の眼には神、シェン が無い。世の中に真に訴えることがあるうちには死のうと思っても死なせてはもらえないものである。目標目的が神の眼に叶うことは生きて達せられるまで生かされる。貧困や逆境は目的目標を持つ者には何でも無いことなのである。今の私がそういう心境で毎日を過ごしている。でも、楽しくて幸せな毎日である。私の顔から笑顔が消えることはない。