2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

其の四若き日映画に出た

1994年の頃と記憶している。 未知への旅人という映画の端役に使ってもらった。私が武道家とシュートボクシングの選手を投げる設定であった。 打ち上げの宴会にお酒も出て、盛り上がった頃に中国人氣功家の先生がお酒を水に氣で変えてしまった。映画会社の社…

ヒロシマ其の二

八月の原爆の月なので、もうひとつの奇蹟を紹介する。サンフランシスコでは世界中日本中から人は集まり、さまざまな出会いがある。当時私が就職した会社の上司が私が武道の五段位を持つことに興味を持って、就職は成功した。私が体育会系出身の武道家と勘違…

麻薬の密売人と言われた

男の嫉妬の第二話である。バカバカしい嘘と嫉妬が生んだ話である。私の通氣の後に、道場に日本から来た自称ジャーナリストが私に嫉妬する者と結託して作った話を聞かせよう。呆れたストーリーである。私の友人がその頃メキシコのバハカリフォルニアの先端の…

働かざる者食うべからず

私は中学二年生から働き始めた。それから四十五年ほど経ってまだ働いている。五十九年間ほど働いていることになる。もちろん職種は違う。 高校一年から毎日家庭教師をして、私の分だけの教育費は稼いで母親だけになった家計を支えた。私の兄姉が遊び回るのを…

一期一会

一般に一期一会は茶道に使われる言葉であるが、私はこの言葉を命と人生に 使いたい。自分の命と人生は一度きりで、 何度も経験できるものではない。一期一会の言葉がぴったりである。それなのに先生や親、権威を持つ者に抑圧されて、ほんとの「自分」の命を…

悲しみと恨み憎しみに愛を

私の幼少期のトラウマの正体は悲しみと恨みや憎しみ恐怖であった。思えば、そんな負のエネルギーを心に引きずりながら人生を送っても正のエネルギーには辿り着ける訳はない。良いことは起きない。 必然的に出会いもそのエネルギーに応じたレベルの人間としか…

其の三若き日

こんなこともあった。筑波大学で氣の学会に招待されて、デモを頼まれて当時の道場生を連れて千葉の筑波まで行った。短い氣の説明の後に氣の交流ジャンプは始まり、全員投げてから初対面の人に対する成功率が七割と言えば、やってみろという話になり、新体道…

技術の継承

面白い番組を見た。外国人が来日して 日本の伝統技術を見て、 その技術を、職人技を紹介して外国人の感想を聞いて、反応を観るという番組であった。神社の修復時に建物の解体の際、初めて分かった工法がある。どのように作ったか分からなかった350年前の削り…

心のシコリと闇のエネルギー

私のトラウマが母の無知が故の父親への怒りのはけ口としての私への折檻であったことはすでに述べた。私はトラウマを克服した。ここまでに至る道のりについても述べた。述べてないことがあった。子どもの頃に受けた恐怖の折檻と乳ガンの原因、責任を私に押し…

機関銃を撃ったことがある。

私は現状を煽るつもりはないが、日本人は武器使用の経験がない。私の住んだ町の警察でポリースアレストと言って、警察の逮捕術を教えたことがある。警官の暴力が問題になっていたころであった。警察官と仲良くなって、ある日、犯罪の凶悪化が進んで警察も武…

其の二若き日の思い出

私の若き日には、呼吸法の人間との氣の交流はたくさんあって、彼らも人を飛ばすとのことで彼らも私の技量と氣のチカラを試したかったのである。 私は拒まなかった。望むところだ。相手が筑波大学の日本代表クラスの柔道家でも拒まなかった。勁で投げ飛ばして…

強い自衛隊

私のような者が何を言っても何もならないことを分かっていて、我慢ならなくなって、これを書いている。またあの気の狂った金正恩が日本の国と国民を滅ぼすことは簡単だと脅かしている。私は武術に携わった者として憤慨している。時は来た。闘う時は来た。私…

若き日の思い出

1994年に大阪に氣功教室を開いた私は当時四十代で血気に溢れて一人、日本で氣功家としてテレビに大々的に紹介され、 飛ぶ鳥を落とす勢いであった。道場を開いてすぐにテレビのモーニングショーの生番組に又紹介された。ゴールデンウイークにもかかわらずに相…

無鍼の治療

私が通氣の儀式の寸前辺りであったか、その時の訓練のピークにあった私はクリニックに訪れた患者の治療を頼まれた。以前から知り合いであったので、雑談をしていた。いつでもどこでも、リラックスして気だるげに反応していたので、知らずに患者と氣の交流を…

其の三「自分」

1994年大阪で道場を開いた私は道場生が五百人近く集まり、私の懐は潤った。このころにある一家と知り合いになって、兄弟は何遍大学を受験しても合格しない。母親と姉は立派な方で、この二人の兄弟は異常な考えと感覚の持ち主であった。当時カネが足りずに大…

其の二の「自分」

今から言うことは、時効の話であるが、アメリカ人にはこんな人物も居て、他人の事情もわきまえず、リミットまで人を追い詰める者がいる。紹介しよう。ある日系人と知り合いになって、私の学歴を聞いて来たので大学は中退しました。と言って、しばらく経った…

本当の「自分」に出会う

私は大学を卒業しなかった。というより出来なかった。だから私は大学中退者とされている。学業が悪かったのではない。授業料を払えなかった。在学中に渡米の話を聞いて両親も亡くした私は休学手続きも取らずに日本を去った。アメリカでは、就労の際は履歴書…

線香も焚かず屁もこかず

私は1972年から2014年までアメリカに在住していた。2015年についに、遺骨となった妻と共に日本に帰国した。私がこれまでに関わった人間は数多い。その中には、私を利用しようとした者も多い。経済的に利用しようとした。そうでもないのに、どうも私がお金を…

私の前に道はない

私の辿った人生の道には平坦な道は なかった。日本でも、アメリカでも、私の能力不足もあるだろうが、何を成そうとしても、高い壁とイバラの道は用意されていた。余りの困難さに諦めようとしたことも一度や二度ではない。この尤氏長寿養生功も師母の余りの厳…

被爆者と鍼灸治療

今年も広島の日を迎えた。私には 忘れられない被爆者で、私の医院を訪れた 患者の話をこの日、いつも思い出す。 原爆の日にほぼ中心地にいて被曝した。 瓦礫の下に身体は横たわり、身動き出来ない。なんとか這い出て、食料を探す。 何もない。どこかの施設で…

日本に二十二年、アメリカに四十三年、日本でも、アメリカでも私は情を持つ人の縁によって、助けによって、生きて 来た。情は人間関係の潤滑油である。 そして人生を前に進む原動力になって、 大きく影響を受ける時もある。尤氏意拳の神田真澄こと姜吉隆に今…

修行時のケガ

私が尤氏長寿養生功を修練して、ジャンプのし過ぎで左膝を壊してしまった。 今では杖をつかないと歩けない。武術 武道の練習でケガをすることほど つまらないことはない。私が依然 関わった武道の道場で、余りに強さを誇った結果、練習中に勢い余って、金的…

氣を知る者と知らない者

最近氣を知らない者が氣功と称する 氣功もどきのまがいものを教える輩がいる。生徒を集めてカネを取る。まるで 詐欺である。アメリカには、こんな輩は多くいた。母国では何の経験も無くて アメリカに来て、いっぱしの専門家と して高い料金を取る。日本にも…

喜びは倍に悲しみは半分に

恥を忍んで、私の貧困とトラウマの半生を書かせてもらったが、私が貧困とトラウマの克服を尤氏長寿養生功に託したのは大恩ある師母が余りに無愛想、余りに厳しく、そしてその技法と瞑想が余りに 特殊で、挑戦するには困難であるが、同じ人間が、先輩道場生が…

秘技と伝統を守る

尤氏意拳の姜吉隆大先生は自称習ったとする、秘技秘術を、今はその動画を隠してしまい、許可無くして見ることは出来なくなっているが、 私が日本に受け継いだ尤氏長寿養生功は中国政府の政策の結果、文化革命でドクター尤老師と師母は拷問を受けて、その伝統…

通氣は赤児になること

太田氣功道場のホームページを読むと、通氣という言葉が良く出て来て、この通氣って何だ?っと思った方がたくさんおられたかも知れない。尤氏長寿養生功の瞑想とジャンプを繰り返すと、最終的には氣が丹田に降りて来て、通氣となる。 私が通氣になったのは19…

顔相と心

顔相は中国語でガンシャンと言って、日本語の人相ということである。親からもらった、 顔相は年代と共に変化して行く。五十歳までに親からもらった顔の骨格と顔相は無くなり、自分本来の顔相が出てくる。顔相に大きく影響するものは自分の生きて来た生きざま…

顔相と政治家

問題発言大臣とおバカ大臣達の顔相を見ると顔が汚くて、顔相がとても悪く、見た目がとても悪い。皮膚は汚く、心の深部が面に表れて表面に出て来ている。高学歴だろうが、政治の世界に長く、経験も豊富だろうが、関係ない。素食で綺麗な生活を送っていれば、…

最古で最新の氣功

中国の遺跡から氣功をしているポーズの絵が発見されている。それこそ、周時代の遺跡からの発見であった記憶があるが、間違えていたならば許して いただきたい。この最古の健康法は ドクター尤老師によって、チベット密教と意拳の融合により単に王様だけを 不…

出会い

私の人生は人との出会いの連続で、 良い縁の出会いもあり、悪い縁の出会いもあった。悪縁で出会った人は長続きする関係にはならない。良縁の出会いを喜び、自分の勉強になり、人生をより良くしてくれる人との関係を大事にして、 その延長で又出会う人をも大…