本名は姜吉隆である

私の堪忍袋の緒はついに切れて、神田真澄こと神田吉隆の戸籍の本名を明かすことを決意した。日本に帰国以来、私は大いなる葛藤があった。この腐った男の処置をどうするか悩みに悩み抜いた。本人も在日朝鮮人である事にコンプレックスを持ち、悩んでいたことも知っていたので、私が姜吉隆の名前を公表するのは、

私の本意ではない。しかし、私は神田吉隆こと姜吉隆の人間性と良心を信じて、尤氏意拳などと言うニセ団体を解散して真面目に四六時中働いて、少なくとも借金だけでも返済するよう望んで、勧告して最後通牒までして返事を待ったが、なしのつぶてで、鳥取に逃げて、返済計画も無いまま、この酒、メシがうまいなどと言っているので、もはや、本名を明かすしかないと思うに至った次第である。この本名公表に関しては、姜吉隆のおじさんとおばさんの理解と了解は、すでに、去年の時点で取り付けてある。私の善意の紳士の指導員には人種差別的な処理の方法は好まないと言われていたのであるが、いつ迄経ってもらちがあかないので、姜吉隆の非道な行為に対して、反省や謝罪も無いままに今に至ることを私は一時期師匠であって、大塚の太田道場の責任者に任命した私の責任を鑑みて、この公表を持って、ニセ団体に集まる者がさらなる犠牲になって欲しくない気持ちもあり、私の敬愛するドクター尤の名前を勝手に使うなどの傲慢な態度をも正さねばならないとの義憤が重なって、この公表に踏み切ったのである。ここで断わっておかねばならないことは、私が人種差別や私的な怨みや怒りからの公表ではない。私には嫌韓感情や差別はこれっぽっちもない。四十三年もアメリカに在住してさまざまな人種と付き合った私には在米コリアンとも親しくなって友人もいる。ましてや、在日朝鮮人に対して特別な悪感情はない。この公表は神田真澄こと姜吉隆の不祥事に対して姜吉隆が何の誠意も示さずに逃げ回っている事実への私の義憤なのだ。それでも、私を何かの理由で訴えると言うならば、訴えられよう。私は構わない。私は正義を貫きたい。スジを通したい。姜吉隆が私を怨んでも良い。ここまでの事態に至らしめたのは本人である。日本に生まれたならば日本の社会のルールを守ることが求められる。借金したら返済しなければならない。他人の名前を使って九百万円の借金などをしてはならない。そんなことをして、在日の名を汚してはいけない。たとえ、一時期でも、師匠にあたる私を「あいつ」などと呼んではいけない。日本に生まれたならばもう日本人である。日本人が日本人を騙したり、傷つけたりしてはいけない。日本人どうし、助け合って、この内憂外患の時代を生き抜かねばならない。カネなどを騙して供出させて、そのカネで贅沢などするべきでない。早くニセ団体を解散して真面目に働くことを始めよ。掠め取ったカネを全て返済しろ。新しい人生はそこから始まる。逃げ回っていれば、そのまま負の人生の続きで終わる。尤氏長寿養生功は負を正に変えることができる。今からでも遅くはない。