推手❷

私が記憶する限りでは、尤氏意拳を名乗る神田真澄こと姜吉隆には尤氏長寿養生功の核の一部とでも言って良いこの推手を教えたことはない。姜吉隆の怪しい言動を何遍も聴くうちに、この人物の本性、本音が分かって来て、ある時点から私から教えることは何もなくなった。苦しい練習に耐える資質もなく、毎日訓練する気も無い。頭に浮かんでくることは如何にカネを儲けて贅沢するかという欲望と、どのように太田道場を乗っ取るか、という段取りの計画だけで、これ以上教えたら、こちらの身が危ない。一回、二回は推手で投げ飛ばしたかもしれないが、ハッキリ覚えていない。新しい氣の武術尤氏意拳を名乗るには、推手が充分に出来ることが不可欠だ。站椿功をたった一ヶ月では、推手をしようにも氣が充分でないから、相手を推手で吹っ飛ばすことも出来ない。站椿功を教えるにしても、たくさんの修行の段階があるので、たったひとつの站椿の形しか知らないから、生徒はそのひとつの形しか習えない。死ぬまでひとつの型の站椿功をするしかない。尤氏意拳などと言う怖れを知らない大胆で傲慢な名前を付けたが、站椿の形を知らない、推手も全くわからない、では尤氏意拳にはならないのではないか?私の三十年に及ぶ毎日の修行でも、教えるに充分な修行時間であったかどうか私には分からない。傲慢で身のほどを知らない狂気の行動は後悔が先に立たない。せいぜい、でまかせの自転車操業で、でたらめのワザで、お茶を濁して尤氏意拳の指導に精を出すが良い。そんなことをしている間に太田氣功道場の指導員は指導員を通り越して、推手を充分に訓練して、師範の実力を身につけて、すぐにそのチカラは神田真澄こと姜吉隆の上を行くことになっているだろう。もうすでに、尤氏意拳の宗家創始総師範の実力を超えている。でも彼らは宗家創始総師範と自称するほど傲慢でアホではない。十年経った今でも一生懸命に毎回大粒の汗をかいて、修練に精を出している。