恨み

人が何か悪質な行為をされて恨みを持つことは良くあることである。恨みは肉眼では見ることは出来ない。が、感情のひとつで感じることは出来るエネルギーであって、感覚で感じることができる。エネルギーである以上、波長を持って目的を達成しようとする。波長を持つエネルギーは物体に影響を与える。何か人に恨みを買うような行為をした場合、怒りと恨みのエネルギーはその行為をした者に向けられてその悪性のエネルギーで何か悪いことが起きてしまう。私にはこのエネルギーの影響に関して面白い経験がある。私がアメリカにおいて武道を教えていた時には当たり前に私は「先生」と呼ばれていたのであるが、ある日に日本から来た自称柔道家と言う日本人が嫉妬からか、私の道場生に「先生」と呼ぶのはおかしいと言って、私を侮辱するような言動をした。私はそれを聞いて、別に怒りや恨みもせずに普通にいろいろ手伝ってアメリカ生活が良く、うまく行くよう心配りをした後に、そんな悪口を聞いた二、三ヶ月後、彼がサンフランシスコで黒人と揉めて、ケンカになり、腕の骨を折られてしまった。また、ある時には、私が治療した日本人中年女性が治療費を払いたく無さそうに態度悪く、渡したお金を私の手から冗談めかして、取り上げて自分の財布に入れてしまった。こんな日本人もいるのだな、と思ったら、その女性はさっさと帰ってしまった。。次の週にお友達が治療に来て、血相変えて、あの人、心臓麻痺で亡くなりました、と言う。私は恨みや怒りは二件とも心には浮かぶことは無かったのであるが、今となっては、悪質な氣で人を貶めようとするエネルギーはそんな行為をした者に逆に戻って、天、宇宙のエネルギーで、ある意味で、天罰神罰となって、その行為者を襲うのである。恨みや怒りを持たなくても、悪質な行為をした者に襲いかかるエネルギーは、恨みと怒りを持った人がいるならば、もっと酷な罰を受けてしまうと思われる。私がこの一年糾弾している尤氏意拳明光武道の神田真澄こと姜吉隆の悪質な行為はたくさんの人に迷惑と損害を与えて、何人もの人の怒りと恨みを買った。この結末は怒りと恨みのエネルギーが一人では無く、集団の怒り、恨みのエネルギーとなって、姜吉隆に襲いかかるだろう。氣を教える者が目には見えないエネルギーが、自分は神道の信者であるから、そんなエネルギーには無縁であると思っているのであろうか?神を信じる者ならば、悪質な行為でカネの不祥事を起こすことなどしないはずだ。信者を装って、神を利用してカネを手に入れた行為には、それ相応の宇宙の罰のエネルギーが襲わない筈は無い。とても怖ろしい結末が待っている。