勝者と敗者

日本の言葉に勝ち組、と言うものがある。良い大学を出て、良い会社に入り、上手く経済的に立ち回って、持ち家の一軒でもあって、カネ回りの良い者たちを指すらしい。とするならば、私は勝ち組では無い。しかし、私は負けてもいない。人生において勝者と敗者は別の見方もできる。私の師匠である欧陽敏師母は、いつも、人生において一番大事なものは Longevity, である、と言っていた。健康で長生きした者が勝者と言うことである。もっとも、私は訓練のし過ぎで膝を壊して、身体障害者になっているので大きな顔は出来ないが、膝の大きな手術を考えていたのが三年前のことなのに、今では杖が無くとも、少しずつではあるけども歩くことができるようになっている。三十センチ、二十センチの台に座って、立ち上がりができるようにもなった。三年前の私を知っている者が今の私を見たならば、奇跡が起きた!と言うだろう。師母からこの氣功を学ぶことが無かったならば、こんなことは起きていなかった、と思われる。身体障害者になっても、尤氏長寿養生功を教授することができて、この間は北海道まで一人で行って、講習会を開催して無事に一人で帰ってきた。十二月にはタヒチの出張があり、島民の治療をこなして、先回のデモを観なかったタヒチアンの巨人が今回是非経験したい、と言って空港に迎えに来て、氣の体験をしたい、と言っている。空港で私はこの二人の巨人を投げ飛ばすつもりである。気力体力は壮年のように不思議にある。目のチカラ、神シェンはチーターの目のように獲物に飛びかかるごとくに鋭く、チカラはみなぎって、指導員を目のチカラだけで、吹っ飛ばしている。身体のケガや病気には関係無く、人生を雄々しく、充実感を感じて生きることが出来ている。尤氏長寿養生功を誤魔化し無く、修行を成し遂げて師母に私のチカラを認められた、という自信と誇りが、私を敗者では無い、と言い切れるチカラになっているのである。人生の勝敗を決める時は我々が死を迎える時だろう。本当に誤魔化さずに一生懸命に生きたか?健康で長寿と言われるまで生きたか?残念なことに私は身体障害者となってしまったが、今年から介護度が二級から一級になっている。だんだん、回復して来ているのだ。タヒチ移住まで二年ほどあるので、それまでに健常者に少しずつ近づきたいと思っている。杖無しで歩く訓練ができることになって、階段を登れない状態であったが、今では、左脚を使って登り降りができるようになっている。ケガや病気に打ち勝つ者も勝者である。見かけや身なり、肩書き、どれだけ持っているか、という外見で勝敗は決まらない。中身が何で、その中身で、どのように生きているか?という基準でも人生の勝敗が決まる、と尤氏長寿養生功を修めた私はそのように思っている。カネや身なり、肩書き、自己顕示欲に支配されている者たちには、到底理解出来ることはないだろう。