破門にしたキッパリ道場の山地 花緒里と尤氏意拳明光武道の姜吉隆の両名をこのブログでその卑劣さを糾弾して大分時間が経つのであるが、この両名の人物の人間性について、いろいろ考えているうちに結論が出た。両者共に共通していることがあって、尤氏長寿養生功を本当は学びたかったくせに、道場中枢に入り込み、私から直接情報を仕入れてスグにハナクソの内容で修行半ばでニセ道場を開いてしまう。どちらも太田氣功道場の枠にははめられたく無い、自分のモノにしたい、もらえるものは何でももらい、他人の気持ちは考えない。つまり、超利己的な人間たちであった。言い換えれば、愛の欠如した人間であった。他人を愛することの出来ない人間性で、愛せる者は自分自身しかいない。愛が無いので、尤氏長寿養生功を商売道具にしか見えない。関わる人も自分を持ち上げる道具、踏み台にして自分の想いを遂げれば、サッサと挨拶も無く、逃げて、道場を開く方が大事な人間であった。つまり、愛の無い人間たちである。利用出来るモノも人も、利用出来れば、何でも利用する。こんな人間性の者が見えない瞑想のエネルギー、氣を教えて何を成し遂げようとしているのであろうか?自分たちの野心は自己顕示欲の発現とマージンを取られない自分の団体の結成でカネ儲けの商売であるから、関わる生徒は利用されないようにくれぐれも気をつけねばならない。人間の皮を全て向けば愛しか残らないのに、この二人は愛が無い。自分自身しか愛せない人間性の者たちは他人を教え導くことが何も無い。