大義名分

日本人に限らず、戦いをする時には挙兵をする時には、大義名分が必要となる。私が以前、日本で大阪に道場を開いた時にも私の大義名分があって、正当で正統な修行を積んで、ドクター尤老師と欧陽敏師母を顕彰することに尤氏長寿養生功を日本に紹介して日本人に健康長寿をもたらす為であった。それが私の大義名分であった。三年前の帰国の際に太田氣功道場を開いたのも、神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆の為に神意拳の太田道場がメチャクチャになって、道場生がほとんど四散した状況を立て直して、正統尤氏長寿養生功の正しい技術とその正統な目的を日本に再度伝えようとの大義名分を掲げたのであった。大義名分も無い、ただ、自分の自己顕示欲と金銭欲の為の道場開設は単なる暴挙愚挙であって、公共人々の為にならない私欲の道理の通らない行為と言えるだろう。大義名分と言ったら、古臭い昔の話だろう、と言う者がいるかも知れぬが、そんなことはない。こんな人とのつながりが 無くなっている時代だからこそこういう道理、スジの通った考え方が必要となる。尤氏意拳の姜吉隆、キッパリの山地花緒里も道理、スジの通らぬ生き方人生を歩んで、心のこもらない屁理屈を教えては悦に入っている。生徒にどんな顔してそれぞれの道理を生徒に説いているのであろうか。自分の守れなかった規則と秩序を自分の道場内に設けて、それを守れ、と言っているのだろうか?矛盾を感じることも無いか?そんな人間性の者が本当に人生の生き方など、どの口で言うのであろうか?キッパリと人をたぶらかしてキッパリと平然として生きる、と言うことか。両名共に私の教える尤氏長寿養生功をマネして利用する人生には道理は無く、大義名分も当然無い。人間として堂々と生きているのであろうか?疑問と問題のある人生である。偉いチャンピオンと凄い教師でモデルである。