自由と規律

私は何ものにも規制されず、自分の思い通りに自分の人生を歩む自由というものが好きだ。それで、若い頃からアメリカやヨーロッパ、アジア諸国など世界各地を巡り、少林寺拳法の現地拳士と合同で練習して交流を深めていたのであるが、人によってはこの自由を自分のエゴと誤って解釈して、規律とルールを守れない者たちがいることは大変に遺憾なことである。規律を守ることの出来ない拳法のチャンピオン、武術総師範、ルールを守られない教師、瞑想の修行期間が圧倒的に足りない瞑想総大将、彼らはどうやったって、自分の好きな時に好きなように自分の道場を開いても、自分たちの自由でしょ!と開き直って、勝手に自分たちの思う通りに実力も無くニセ、キワモノ道場を開いて月謝だけは一人前に生徒から取っている。利己的な自分のエゴを優先して他人の気持ち、ルールなど無視して自分の欲望を実現している。なんとあさましい、恥を知らない教師と武術武道のチャンピオンであろうか?人間の良心のカケラも見ることは出来ない。こんなケダモノの心を持つ師匠に習う生徒たちが哀れでならない。類は友を呼ぶ、ということわざの通り、生徒たちがこんなハレンチな師匠が決める規律などを守ることなど有りうべくも無い。規律を守ることのない師匠が生徒のエゴを敵視することは矛盾するだろう。日ならずして、エゴのかたまりの師匠の率いる団体から、また、自由とエゴを取り違えて規律を守らない生徒がハナクソ道場を親のハナクソ道場から独立するのであろう。規律を守り、正当な手順を踏んで自由を手に入れた者は神からの祝福を受けて嬉しくて楽しい幸せな日々を過ごすことができる。規律を守らない自由、すなわちエゴは神に嫌われ、幸せな日々を手に入れることは出来ない。私はタヒチに行くたびに島のみんなから大歓迎を受けて、毎夜のように家に食事に招待されて、嬉しく楽しい幸せな日々をタヒチで過ごしている。規律のある私の自由を満喫しているのだ。若い頃もそうであったが、今の晩年にあっても、日本と海外に自由にそして、自由な私の人生を楽しんでいる。