知る者は言わず

世にはびこるホンモノではない者たちは自分のほころびを隠す為に、ニセモノが、ホンモノのマネをする為にピーチクパーチクかまびすしく言葉巧みに言わざるを得ない。一方、ホンモノは知る者は言わず、でただ行なうだけである。であるから、私もあまり説明を加えて多くは語りたくない。しかし、世の中にあまりにニセモノが増えて、騙されている者が多くなり、ホンモノが押しやられてニセモノがはびこれば日本の社会がますます狂ってくるのではないか?という憂いがあって、つい言わざるを得ない。最近の鍼灸講習会では参加者の鍼灸師が続々と私の強く重くなった氣を感じて、私の実技を見て感動する者が増えつつある。ホンモノを知ることは自分の人生にどれほどの影響を与えるか、ニセモノを学ばされている者たちには想像すら出来ないであろう。ニセモノがチョットだけ載せている動画を昨夜送って来た者がいて、見てみたが、見るに耐えなかった。私の目から見れば、ハナクソ以下の自己顕示欲と欺瞞に満ちた私のサル真似であった。三十年前に教えたまんまの進歩の無い初歩の今の私の一年生道場生が出来てしまうワザである。今、次々に勁空勁が出来て来ている私の道場生の方がずっと上級のワザを身につけている。ニセモノはいつまで経ってもニセモノで、基本の基礎訓練が不十分だから、応用が利かずに教えたまんまの初歩の初歩から抜け出せない。ニセモノを習う者もそれしか知らないから、満足気な顔でそれがホンモノと思っているようだ。黙っていてもいづれ腐れ果てるシロモノではあり、私が何も言わずとも知っている者は見向きもしないであろうが、ホンモノの立場からすれば、チョロチョロとマネばかりする、恥の無いニセモノが目障りである。精神性の無い魂の篭っていない勁空勁を見ると無性に腹が立ってくる。私太田氣功道場のユーチューブに載せている動画にアホな誰が書いて来たかすぐ分かる中傷文が精神性の無いニセモノ本人であることは我々には分かっている。ニセモノの行為は何処まで行っても醜くあさましい。私の後を追いかけても、私はそこにはもういない。私が進歩しているからだ。しかも、進化しているスピードは常識では考えられるものではない。あまりな進化の速さに私の道場生もそれには髄いて来れないほどである。充分なトレーニング、基礎訓練を充分に積んだ者、ホンモノは応用が利く。ノーベル賞を取る科学者が言うことである。基礎研究を充分にして置くことがノーベル賞を取ることに繋がると言っている。知る者は言わず、ただ行ないを示すだけのことである。ホンモノはもうすぐタヒチを諦めて和歌山の山中深く、瞑想を求め深めてさらなる高みを目指して出発する。