自由

人には何ものにも束縛されない自由がある。いろんな自由があるだろうが、言論の自由職業選択の自由、の他にも考えてみれば思いつくことがいくらでも出てくるだろう。尤氏長寿養生功を三十年のあいだ訓練して私は自由になった、と言える。まず大学で使える英語を学び、アメリカに移住して、さらに英語のチカラをつけて世界を飛び回ることができるようになって、東洋医学を学び、世界最高峰と言える尤氏長寿養生功を修得して瞑想の究極を体験する。言葉と人種の壁を乗り越えて、自由に話し、外国を訪れて短期間であっても、住むことが出来た。今は日本で母国の空気を吸って嬉しく楽しい、幸せな日々を送っている。その理由を考えてみると、それは私の心の自由があるからではないか?と思わざるを得ない。アメリカで大きな家を買って住んだこともあったが、今ほど幸せであったかどうかわからない。束縛されていろんなことに手枷足枷をつけられて、自由を失っていたような気がする。最近気づくことは、真の自由とは、心の自由を指すのではないか?と思うようになった。いくらカネとモノを持っても、一見、自由で豊かに見えるだろうが、カネとモノを失くさないように苦心することが自由を奪わないだろうか?瞑想を長年した結果、執着することと守るものが減り、心がより自由となって幸せに感じることが多くなった。自由とは、幸せとは、心が自由となっている状態を言っているに違いない。心が自由であれば、何処の国に住んでも、どんな言葉を話そうが、幸せで嬉しく楽しい日々の生活ができる。毎日が刺激的であり、学ぶことが多く、安心して眠りにつき、翌日が待ち遠しい。全て、尤氏長寿養生功で学んだ瞑想のお陰である。かけがえの無い幸せになる手段を手に入れた。カネとモノは失ってしまうことがあるだろうが、瞑想は失うことが無い。瞑想によって、作られた私の心の自由も消えることは無いだろう。心の自由とは幸せのことであった。