愛❷

私が尤氏長寿養生功の師母の道場に入門した時にはいつもの中国人の日本人に対する非難差別の心を持つ中国人女性の通訳にさんざんに嫌みとイジメを受けて、師母も日本人の私には冷たく、大声で私をいつも叱って、私を侮辱するような態度を取り、周りの中国人やアメリカンも昔の戦争の仇を取る姿勢で、私の気分と気持ちを傷つけられたのであった。しかし、私にはこの氣功武術が私にとって千載一遇の学ぶチャンスと思い、どんな悪口雑言にもジッと耐えて、修練に精を出していた。道場で認められるように毎日風の日も雨の日も私が道場にいない日は無かった。国民定休日もクリスマスも私には休みの日は無かったのであった。そんな尤氏長寿養生功を学ぶ環境は最悪の状況であったが、何年か経って、師母がついに私にはいつの間にかプーハオ不好、と言わなくなった。それ以来、私をみんなの前で、ワザを見せる時に私の名前を呼ぶようになって、私にも気を使うようになった。私の心が師母に通じた時であった。私は尤氏長寿養生功が世界一の最高の武術で世界にひとつしかないものとして、大事で、尊敬していたのであったが、師母についに認められることになって、私には尤氏長寿養生功に愛情が更に生まれたのである。あれだけ私に悪態をつき、私を侮辱して差別した師母は私の愛する師匠となった。時に優しく声をかける時やお茶目なことをする時にはなんと可愛いおばあちゃんだろう、と私も師匠の師母には掛け合い漫才のような冗談をみんなの前でやれるような関係となっていた。中国人は相手を本当に信じるまでは決して胸を開かないが、時間が経って、信頼出来ると思ったら、まるで、家族のように扱ってくれる。私をタヒチで受け入れてくれる中国系タヒチアンも同じである。だから、私は中国の文化芸術を修めた後に教授する身であるので、中国の武術を愛して、中国人の人々を愛している。敵では無い。中国系タヒチアンを通して知り合いになった現地のタヒチアンにも愛の心が育っている。このように愛は言葉や習慣、国境を越えて無二の友人となれる。師母が人生をかけて修得した勁空勁の技術を教えてもらい、遠い国、南洋のタヒチの島で赤の他人の家に泊まらせてくれるのも愛のチカラである。さまざまな壁を越えて通じ合う素晴らしい心、感情である。私は太田氣功道場に集まる指導員、道場生を愛して私が愛した、そして今でも愛している尤氏長寿養生功を教えることをこよなく愛しているのである。愛は国境を越えて世界に行き渡る。私の人生は幸せなものとなっている。