七転び八起き

この言葉は人生の中で七回転んで失敗しても、八回起き上がって頑張れば良いと言う励ましの言葉ということであろうか?とすると、人生においては、七回失敗しても許されるということにならないか?私も自分の人生の中で様々な失敗がある。七回どころではない。その度に起き上がって今まで来た。多くの失敗は私の貴重な人生の中の時間とお金を無駄にしてしまった。でも、今現在、確実に無上の喜びと幸せを感じて生きている。それは尤氏長寿養生功に出会いがあったからである、と断言できる。尤氏長寿養生功に出会いがあってからも、人選を誤り、カネと時間、それも十年という膨大な時間と何百万円という無駄をして失くしてしまった。後悔しても仕切れない。でも、また、立ち上がることが出来た。もっとも、びっこをひいて片足はまともに使えないのではあるが、まだ生きている。生きてさえいれば、再生は可能なものである。不思議なことに体調そのものは身体障害者の割にすこぶる調子が良い。瞑想のおかげで頭脳はますます明晰で、気迫と挑戦する意欲は衰えない。この何かを成し遂げようとする意欲は何処から来るのであろう?と分析するとやはり、尤氏長寿養生功の訓練の影響であるとしか思えない。人間が何かを成し遂げようとする時には気迫根性、挑戦する意欲が必要で、もうひとつ諦めない粘り腰のようなものが必要である。七転び八起きがそれである。病氣になった病人が医師から不治の宣告を受けて自殺する者がいると思うが、死んだらそれで終わりになる。生きてさえいれば、再生のチャンスはある。自暴自棄になる必要はない。尤氏長寿養生功は鈍った身体と精神にカツを入れて鍛え直して、再生の道を探る再生復活の手段となるものである。私がそれを実証した。私は、本来、怠けモノであった。人生の敗者になっていた可能性が高い。でも、心身の徹底改造をこの尤氏長寿養生功にかけて、実行してみたのだ。そして結果が出た。何よりも、幸せになった。いつの間にか、人生の目的を達成していたのである。誰もが人生を生きるに幸せになりたいと思うはずである。人生では七回失敗して転んで良いのである。病氣も同じことで、七回不治の宣告、死の宣告を受けて良いのである。今、徹底的に心身を鍛え直して、不治の病いを克服しようとしている患者がいる。尤氏長寿養生功の訓練で改善復活の道を歩んでいるのである。八度目に起き上がれ!私ももう一回起き上がる!八度目に起き上がって幸せになる。