肉体と精神

結論的に言えば、肉体と精神を結びつけるものが氣である。肉体を鍛えると、精神が強まり、確固たる精神が出来上がる。鍛えられた精神は強い肉体をもっと強くしようとさらなる過酷な環境に自分を追い込み、不撓不屈の精神と肉体を作って行く。私の経験から言えば、肉体を鍛えることが最初で、始めから精神論をかざすことは絵に描いたもちのようなものであろう。肉体を限界まで試すと、その限界は本当の限界ではなくて本当の限界はその先にあることが良く分かるようになる。さらに言えば、精神が諦めなければ、限界は際限なく伸びる。この時に氣を感じて、もっと肉体は動くのである。経験した者にしか理解出来ない。尤氏長寿養生功の訓練では、この肉体の限界に挑戦する。肉体が先か精神が先か?精神は見ることは出来ないが、肉体は見ることができるので精神のバロメーターともなる。世界トップのアスリートがメンタルが大事と言う所以である。つまり、ある時点まで築き上げた時には精神の表れとみることもできるだろう。その頃合いを見計らって、通氣を行なうのである。面白いことに神道大本教では、肉体は滅びて死を迎えるが精神、魂は不滅でいつまでも残ると言っている。肉体が滅ぶことは古い着物を脱ぎ捨てるようなもので、その後霊魂だけになるのだと言う。と言うことで、死そのものは怖れることではないのだと言っている。勇猛心を持って肉体を鍛えると精神も勇猛心を持ち、その精神はさらに上の肉体を求めることになる。相乗的に効果は上がる。そして相反する二つがバランス良く働く時に奇跡的なチカラとワザと 氣が身体を通じて出現するのである。訓練と瞑想によって勁空勁の完成を目指している尤氏長寿養生功に於いては、肉体と精神の完成が目標である。これは私の体験から言えることである。