知ってることとできること

あたり前のことだが、知っていることとできることは全く違うことである。良く、何かを説明する時に、ア、俺それ知ってる、という者がいる。彼は出来なくても、情報を持っていることが自慢であり、出来ることに重点を置いて無い。日本人はどうも情報過多になって、一億総評論家になっているのではないかと思われる。特に氣功の世界では、リラックスとか緩めると言ってフニャフニャすることが氣功であるような印象を一般人に持たせて教室を開いてどの系列で何と言う流派で、教えを受けた師の名前すら言わずに自分で本を読んで独学で創始したと言って、世の中の良い大人を惑わす師範もいるようである。私から習っておきながら、尤氏長寿養生功を習ったと言わずに自分で創始したと言う者もいた。勁空勁と言う中国語を使いながら、日本に伝えられる和の氣の武道を自分で作ったと言って格闘技を教えている者もいる。ウソもここまで来ると、まるで詐欺である。勁空勁と言う言葉を知っているということと勁空勁が出来るということは全く違うことなのだ。